ことばの世界

本から自分を知っていく、そんな場所

読書記録68【昔はおれと同い年だった田中さんとの友情】椰月美智子

【昔はおれと同い年だった田中さんとの友情】椰月美智子

 

昔はおれと同い年だった田中さんとの友情 (ブルーバトンブックス)

昔はおれと同い年だった田中さんとの友情 (ブルーバトンブックス)

 

 おばあちゃん子だった私。

 

おばあちゃんや、おじいちゃんの

優しく包んでくれる

おっきな愛が好き。

 

親とは違う

二世代、歳が離れた関係は

近すぎず違った居心地を与えてくれる。

 

 

11歳と85歳の友情。

歳の差、74歳。

 

だけど、

85歳の田中さんは

74年前は11歳。

 

同じ歳だったことが

実はあったんだよね。

 

 

生まれた時代が違ったから

体験してることも違う。

 

それぞれの日常を話すだけでも

知らないことがいっぱいになる。

 

 

おじいちゃんだから

自分たちのことは

わかるはずないだろう。

なんて、思ってるのも

もったいないな~って。

 

 

いいよね。

世代の違う人との交流があるって。

 

 

友だちには話せないことも

話せちゃったりして。

 

 

今、産休&育休中の私は

おじーちゃん、おばーちゃんたちが

いっぱいいる職場に行きたくなりました。

 

会って、お話してるのが

それだけで、癒されたりするのよね。

 

 

子どもが1か月すぎたので

職場にそろそろ顔を出しにいこうかな。

 

kotoba-no-sekai.hatenablog.com

 

本ことば112【本当に自分の人生を生きることを考え始めた人たちへ】銀色夏生

【本当に自分の人生を生きることを考え始めた人たちへ】 銀色夏生

 

365日周期は地球が太陽の周りを回る一周と対応している自然のリズムですから、とても大事なものです。しかし、今のグレゴリア暦(西暦)では、毎日の日数が不規則なので、地球のリズムと生活のリズムが調和しにくく出来ています。

そのようなカレンダーをほぼ全人類が受け入れ続けていることで、人工的なリズム、人間社会を中心としたリズムに意識も生活様式も傾いてしまったり、不規則な時間感覚によってバイオリズムが乱れたり、自然と切り離されている不安感から抜け出せなかったり。

 

 

 

女性として生まれてきて

月経を経験した。

 

なんで、始まりから月経なの?って

上の文章との関わりが遠くみえるかもしれない。

 

 

でも、わたしが

グレゴリア暦ではなくて

地球のリズムを意識したのは

月経がきっかけだった。

 

 

今、わたし達がつかう

一般的なカレンダーは

月火水木金土日と続いている

グレゴリア暦のカレンダー。

 

 

これって、

男性社会のリズムを意識して

つくられたものでもあるらしい。

 

 

そもそも、

男性と女性の違いって

いたるところにあるんだけど

違いのひとつにホルモンの分泌がある。

 

 

男性は、

テストステロンっていう

男性ホルモン。

 

 

女性は

エストロゲン

プロゲステロンっていう

女性ホルモン。

 

男性は1つなんだけど

女性は2つある。

 

(細かくいえば、女性も男性ホルモンあるし、

反対ももちろんあるよ)

 

 

何が言いたいかってね

ホルモンの関係によって、

 

男性はひとつのことに

ビューっと向かっていって

(それこそ疲れ切るまでね)

その後休む。

一直線のリズム。

 

 

女性は

波打ってるリズムだから

やる気のある時、ない時がある。

 

 

今のカレンダーは

男性に適したカレンダー。

 

月~金まで思いっきり働いて

土日で休む。

 

 

これに、女性が適応しようとすると、

無理が生じる。

 

 

子宮系の疾患とか

生理不順が起きるのね。

 

 

あれ、なんだか

説明チックな真面目な話になってるね。

 

 

 

女ってね、

月経のときには休みたいんだよ。

 

それは、

グレゴリア暦のカレンダーに従って生きてたら

難しいんだよ。

 

自分の感度が下がっていく。

 

 

月経っていうくらいだから

女の生理って、月のリズムと

密接なかかわりがあるんだ。

 

月は、

新月から満月になり、また新月になる。

 

常にカタチが変化していくもの。

 

 

その月のリズムと共に生きるとね

女性って生きやすいと思うんだ。

 

 

というか、

わたしがそうだもの。

 

 

月のリズムは

自然のリズムだから。

 

 

そうして、

自然のリズムになっていく

わたしのカラダは

自然のリズムとわたしのリズムが

うまく融合して

わたしのオリジナルリズムが完成されてく。

 

 

人工的につくられたリズムも便利だけど、

それだけが絶対じゃないし、

自分のリズムを大事にしたほうが

生きるのに優しいと思うんだよね。

 

 

 

 

 

 今までの本ことばのまとめはこちら。

kotoba-no-sekai.hatenablog.com

 

 

読書記録67【すぐそこのたからもの】よしもとばなな

【すぐそこのたからもの】よしもとばなな

 

すぐそこのたからもの (幻冬舎文庫)

すぐそこのたからもの (幻冬舎文庫)

 

 

たわいもない

子どもとの日常を

短く切り取って

まとめている育児エッセイ。

 

 

あぁ、

わたしも子どもが生まれたら

こういう風に

記録を残していきたいな。

って、思った。

 

 

何気なく言った言葉とか。

こんなことしてたよ。とか。

 

そういうのって

流していくと

すぐに忘れていって

記憶にも残らないものかもしれない。

 

 

あんなことあったっけ?

どうだったっけ?って。

 

 

ちょっとした変化を楽しみつつさ

怒っちゃったことも

ユーモアに変えながら

子どもと過ごしていけたらいいな。

なんて、妄想してみる。

 

 

 

エッセイの中の絵がね

ゆるくて

あたたかくて

線が細くて

とってもね

見てるだけでも

癒されるの。

 

 

こんな本、

わたしも

つくれたらいいなぁ。

 

今まで読んだ本一覧はこちらから

 

kotoba-no-sekai.hatenablog.com

 

本ことば111【四月になれば彼女は】川村元気「そのときここにわたしがいて、感じていたなにかを残すためにシャッターを切ります」

【四月になれば彼女は】  川村元気

 

「わたしは雨の匂いとか、街の熱気とか、悲しい音楽とか、嬉しそうな声とか、誰かを好きな気持ちとか、そういうものを撮りたい」

「確かに、写らないものだ」

「はい。でも確かにそこにあるものです。カメラを持って歩いているのは、写らないけれども美しいと思えるものに出会いたいからなんです。そのときここにわたしがいて、感じていたなにかを残すためにシャッターを切ります」

 

 

過去に撮った写真をながめると

撮ったときの、自分の気持ちが蘇る。

 

 

わたしが

カメラのレンズを通して

見ていた世界が、

そこには形として残っている。

 

 

 

記憶は

脳内の引き出しに

ちゃんとしまってあるのに

どこに入れたかわからなくなるから

出てくることのない子たちが

たくさんいる。

 

 

授業中にやりとりして

大事にとっておいた手紙とか。

 

海でひろった貝がらとか。

 

なんでもないけど

あの時は宝物だったもの。

 

 

思い出すと

確かに、キラキラしているのに

思い出すまでにいたらないもの。

 

 

 

 

写真は

そんな記憶を

思い出させてくれる。

 

 

 

 

他の誰かがみたら

ただの風景写真でも、

 

わたしにとっては

大好きな人が隣にいて

こんなことを話していて。

その場所にいくまでに

途中、あのお店でランチをして。

美味しいね。って、笑いあって。

なかなか目的地にたどりつかなくて

イライラしたりして。

だけど、

あの景色をみたら

2人でこれてよかったあ~って、

しあわせな気持ちになって。

 

と、

写真にストーリーが

盛り込まれているんだよね。

 

 

 

記憶をシャッターを押すたびに

閉じ込めているのかもしれないな。

 

 

四月になれば彼女は

四月になれば彼女は

 

 

 

 

今までの本ことばはこちら

 

kotoba-no-sekai.hatenablog.com

 

本ことば110【僕はがんを治した】福島正伸

【僕はがんを治した】福島正伸

 

でも、大切なのは私自身のあり方だろうと思った。私自身がどのように受け止めているか、私自身が前向きに受け止め、生きる意欲を今まで以上に高めることが。

 

病気を宣告されたときに、どう受け止めるのか。

 

事実は、事実だけど、

解釈の仕方は、その人にゆだねられている。

 

自由に想像して、創造していける。

 

 

「もう、だめだ」と思ってしまうのか

「では、何ができるのか」と次へと進むのか。

 

 

 

病気のことって、たいていの人は知識がないこと。

 

どんな症状が出るのか。はもちろん

どんな治療法があるのか。も知らない。

 

 

知らないから、医者任せになる。

 

 

「全部、先生の言う通りにします」と

委ねてしまう。

 

 

 

それで、あなたの人生はいいの?ってこと。

 

 

自分の身体のこと、

自分の人生のこと、

人に任せて、それで大丈夫なの?

 

 

 

どんな治療を受けたいのか。

 

それを言うには、

自分がどんな人生を歩みたいのかが

わからないと言えないかもしれない。

 

 

 

そして、

たまたま行った病院の、

そのお医者さんに治療をすべて任せていいのか。も

考える必要があると思う。

 

 

そのお医者さんがいけない。というわけではなくて、

自分との相性はどうか。もあるし、

専門分野はどうなのか。や

きちんとコミュニケーションがとれるのか。など、

大事なポイントはいくつだってある。

 

 

 

そのお医者さんが

「絶対に治りません」と言ったらどうするか?

 

 

その言葉を全部信じて、あきらめる?

 

 

 

そのお医者さんの経験では治らないと判断するかもしれない。

でも、他の経験をしたお医者さんが診たら、違う診断をすることは多々あるってことを

知っていなければいけないんだ。

 

 

 

 

お医者さんは、パートナー。

 

自分の在り方が

お医者さんとの付き合い方をも決めるから。

 

 

 

生きているんだもん。

生きる希望をもって、生きていきたいよね。

 

 

37の病院・医師をまわり 僕はがんを治した

37の病院・医師をまわり 僕はがんを治した

 

 

 

 

 

今までの本ことばはこちらです。

 

kotoba-no-sekai.hatenablog.com

 

 

本ことば109【ラリルレ論】野田洋次郎

【ラリルレ論】野田洋次郎

 

あなたは、大丈夫だよ。

 

きっと大丈夫。

 

この言葉が今日は重たかった。

苦しかった。

ふたりから言われた。

励ましの言葉であったらろうに、俺が受け取ったものはそうじゃなかった。

あなたは大丈夫と言われると、頑張るしかないじゃんって思った。

 

甘えたくても甘えられない。

 

もちろん必死でやるし、頑張るつもりなんだけど、

俺は自分でそれを選ぶつもりだけど、

 

あなたは大丈夫、と言われると

その道しかもう残ってないように感じた。

 

 

「大丈夫」という言葉が

ほっと安心させてくれる時もあれば

プレッシャーになり不安にさせてくれる時もある。

 

 

相手がどんな想いで

「大丈夫」の言葉を伝えてくれているのか

 

わたしがどんな想いで

「大丈夫」の言葉を受けとっているのか

 

それで、

同じ言葉なのに全然意味合いが変わってくるんだ。

 

 

 

自分が一生懸命やってて

もういっぱい、いっぱいで

大丈夫じゃないと思ってる時の

「大丈夫」はつらい時がある。

 

 

いや、助けられる時もあるんだよ。

 

『あぁ、わたしは大丈夫だ』って。

 

 

でも、

本当はもう泣きたくて

「大丈夫じゃない!」と言いたい時に

 

「大丈夫だよ」なんて言われたら。

 

 

 

そこで、

「大丈夫じゃないの!」と言えたら

楽なんだろうな。

 

自分を偽らないで

そのままの想いを口にできたら。

 

 

「あなたは大丈夫って言ってくれるし

わたしの可能性を信じてくれてるのかもしれないけど

わたしは今、大丈夫じゃないの!」って

そのまま言えたら。

 

 

 

今のわたしなら、

言えるかもしれないな。

 

 

昔は絶対に言えなかったけど。

 

出来ないことが認められなくて

助けてもらうことが出来なくて

「大丈夫?」と聞かれたら

「大丈夫!」と答える選択肢しかなかったから。

 

 

そりゃあ、追いつめられるわけだ。

 

 

「大丈夫」って言ったからには

大丈夫を装うし、

無理して頑張るんだもん。

 

 

 

世の中の人って、

こうして無理して

カラダもココロも壊していくのかな?

 

 

 

無責任に「お前は大丈夫だよ」って

言われるのが頼もしい時もあるけど、

 

人を追いつめてる時もあるんだね。

 

 

 

 

こんなことを言っときながら

わたしは

根拠のない「大丈夫!」を

自分にも人にも良く言ってるな。

 

 

自分に言う時はいいけどさ、

人に言う時は、

追いつめてないかを見る思いやりを

もっているの大事だよね。

 

 

ラリルレ論

ラリルレ論

 

 

 

今までの本ことばはこちらです。

kotoba-no-sekai.hatenablog.com

 

読書記録66【吹部ノート】オザワ部長

【吹部ノート】オザワ部長

吹部ノート

吹部ノート

 

 

 

 

吹奏楽部だった思い出がヒットして

手に取った本。

 

 

部活ノート。

中学校の時は書いてたな。

 

 

 

大会の反省・感想や

日々の練習のこと。

 

 

中学校の部活は厳しかった。

 

厳しさの中に「愛」があったことを

今なら少しだけ理解できるけど

当時は苦しくてたまらなかった。

 

 

なのに、

辞めなかったのはなぜだろう?

 

 

わからないながらも

わかってたんだ、顧問の「愛」が。

 

 

 

中学3年の時に

ドラムメジャーになった。

 

うちの中学で

マーチングもやっていて

ドラムメジャーというのは

バトンをもって、

マーチングの指揮者の役割。

 

 

自分から立候補したわけでもなく

やりたいとも思ってなかった。

 

 

というよりも

やりたくなかった。

 

 

部長、副部長、ドラムメジャーと

同学年の話し合いで決まる。

 

 

先に

部長、副部長が決まっていて

ドラムメジャーの話し合いは

その後だった。

 

 

部長、副部長にならなかった私は

なれなくてよかった~と

安心してた。

 

 

生徒会の役員をしていたことも理由に

部活においての重役からは

思いっきり逃げていたから。

 

 

 

そして

ドラムメジャーの話し合い。

 

 

 

候補に

私の名前をあげれくれる人がいる。

 

 

認めてもらってることは

とてもありがたいこと。

 

 

 

でも、

わたしはやりたくなかった。

できないと思ってた。

 

 

ドラムメジャーは

背が高く凛としてる人がやったほうが

見た目もいい。と思ってた。

 

 

わたしは150cmしかない。

身長がドラムメジャーに向いてない。

 

 

断った。

できないといった。

 

 

 

 

その話し合いが終わり

話し合いについて

部活ノートを書いた。

提出した。

 

 

 

書いた内容は覚えてない。

 

 

たぶん、

 

『みんなが推薦してくれたことは嬉しい。

でも、わたしにはできない。』

 

などと

書いていたのだと思う。

 

 

 

ただひとつ、

覚えているのは

 

部活ノートが返ってきたとき

顧問の先生の汚い字で

 

「みんなの期待にこたえろ」

 

と、書いてあったことは確か。

 

 

 

そのコメントで

ドラムメジャーを引き受けることを決めたんだから。

 

 

 

部活ノートは

わたしにとっても大事な思い出。

 

 

 

全然、

本のことばからはソレてしまったけど。

 

 

 

わたしは

どんなドラムメジャーをしていたんだろう?

 

 

思いっきりのリーダーではなかったから

引っ張るタイプではなかったと思う。

 

みんなの意見をすくい上げながら

やっていくのを好んでたかな?

 

 

中学生なんて

もう15年も前の話。

 

 

記憶も曖昧になるものですね。

 

 

 

でも、

あの頃の部活ノートは

部活をつづけたことは

わたしの人生において

大きな自信となっています。

 

 

 

 

kotoba-no-sekai.hatenablog.com