ことばの世界

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読書記録073【美しい距離】山崎ナオコーラ

【美しい距離】山崎ナオコーラ

 

 

なんだろうな。
なんていうのかな。

 

心地よい距離感って、どんなものだろう?

そんなことを考えた。

 

家族の単位って、なんだろう。
夫婦が一番近いのか。

結婚した後も、親子は近いのか。。。

 

近いからって、

その相手のことが全部わかるわけでもないし。


遠いと自分が思っている人が、

近い人に対してどんな関わりをしようとも、

それはその人同士の関りで。。。

 

って、とても抽象的な「なんだろう」ばかりなんだけど。。。

 

 

物語の内容は

ある日、サンドウィッチ屋を営む妻が末期がんと診断された。夫は仕事をしながら、看護のため病院へ通い詰めている。病室を訪ねるのは、妻の両親、仕事仲間、医療従事者たち。医者が用意した人生ではなく、妻自身の人生をまっとうしてほしい――がん患者が最期まで社会人でいられるのかを問う、新しい病院小説。

 

病気になると、

関係性の距離ってかわるのかな?

 

病気になっても、

その人であることは変わらないはずなのに、

一気に「病人」というカテゴリーに分類されてしまう。

 

人は、誰だって「死ぬ」し、

それはいつ訪れるかわからない。


なのに、病気にならなかったら、

普通に平均寿命くらいは生きるだろう。

と、自分は大丈夫だろうと、

どこかで安心して思っている。

 

 

生きているからには、

いつだって「死」は隣りあわせにいるのに。。。

 

かくいう、わたしも、

自分が明日死ぬとか全く想像できない。


90歳くらいのおばあちゃんになって

死んでくと、勝手に思ってる。

 

「死」というタイムリミットが

見えてきたときに、

人は「生」という残された時間の

短さを改めて知るのかもしれない。

 

 

変わりゆく状態に、

関係性も変わっていくのか。
新しい関係を築きながらいくのか。

 

 

相手が亡くなっても、

自分の人生は続いていく。


人がいる限り、

いろんな関係性は続いていく。

 

なんか、全然、まとまらない。笑

 

 

読み終えた小説には、

ココロに残った部分に貼る

付箋だけが多く残ってた。

 

 

「死」って、

こんなにキレイに終わるものなのか?

 


イムリミットが

近くにあるってわかったら

人は死ぬ準備や心構えができるのか?


終わる瞬間に目を向けるんじゃなくて

生きている「今」を見ていけるのか?

 

 

もう想像でしかないことばかりで

想像すると戸惑ってしまう。

 

 

昔、働いていた職場の介護教育長が

「死ぬならがんがいい」って言ってた。


この物語で妻を亡くした夫は

『死ぬための準備期間のあるがんという病気に、

妻のおかげで明るいイメージを持てるようになった』

と言っていた。

 

 

同じだ。

 

終わりが見えるからこそ

の、何かがあるのだろうか?

 

 

あーーーーーーーーーー、

やっぱり、まだまとまらない。

 

「生」と「死」のことって、

考えても考えても

答えが出てこないのかもしれない。


今のわたしの生きている価値観で

いればいいのかもしれない。

 

ただ、「生きている」ってことは

「死ぬ」ことと隣りあわせなんだよ。

ということは、改めて感じたんだった。

 

 

そして、題名にもある『美しい距離』


人との距離感って、

関係性でも変わるし

その時々でも違うし

そこにいるメンバーでも変わる。

 


互いに心地よいと思える距離は

決まっていないからこそ

自分の感覚で確かめながら

距離を離したり近づけたりしていくんだと思う。

 

 

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