ことばの世界

本から自分を知っていく、そんな場所

読書記録49【深呼吸の必要】長田弘

深呼吸の必要長田弘

 

深呼吸の必要 (ハルキ文庫)

深呼吸の必要 (ハルキ文庫)

 

 

吸い寄せられるかのように

本屋さんの平積みから

この一冊をとって、即購入。

 

いつもだったら、

本屋のすみずみまで回って

どの本を買うかを吟味するのに

この日に限っては

他のコーナーを巡回することなく

レジに向かった。

 

 

 

カフェで

ごはんを待っている間に読みながら、

深呼吸をした。

 

 

「いつから子どもでなくなって

いつからおとなになったんだろう?」

 

 

その問いを

そっと投げかけてくれて

いくつかの

「あの時じゃなかった?」

を教えてくれる。

 

 

 

確かに、あの時だった。

でも、あの時に急に

おとなになったわけでもない気がする。

 

 

いつの間にか、

ほんとう、いつの間にか

おとなになっていた。

 

 

でも、

子どもだった私のことも

私は知っている。 

 

なのに、

おとなになると

子どもだった、

あの頃の感覚が

薄れていってしまうんだ。

 

 

立ち止まって

深呼吸をして

思い出したくなる、あの頃。

 

思い出すと、

子どもの頃に

気持ちがワープできる。

 

 

幼い頃の感覚も共に

今を生きていこう。

と、思うんです。

 

 

 

この本、

1984年に出版されていたんですって。

 

深呼吸の必要

深呼吸の必要

 

 

30年以上も昔の本。

私が生まれる前の本。

 

なのに、

時空をこえて

そっと寄り添ってくれる。

 

 

あぁ、

やっぱり本っていいなぁ。

 

 

 

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本ことば084【神様のボート】江國香織「言葉で心に触られたと感じたら、」

【神様のボート】江國香織

 

「先生っていうものは、だいたい言葉の使い方が上手なんだから」

言葉は危険なのだとママは言う。言葉で心に触られたと感じたら、心の、それまで誰にも触られたことのない場所に触られたと感じてしまったら、それはもう「アウト」なのだそうだ。あたしにはよくわからない。ただ、先生の言葉はとてもわかりやすくあたしの心に届くと思う。

 

 

 

心に届く言葉って

いったい、どんな言葉?

 

 

キレイな言葉を並べても

心に届くわけじゃない。

 

 

 

この前、

自分のフレームを作るワークがあって。

 

真っ黒の画用紙を

自分の好きに切って、描いて

フレームを作るの。

 

そのフレームから

見えた事を

見えたままに書く。

 

そういうワーク。

 

 

参加者さんは

十人十色で

それぞれが、個性的な

その人っぽいフレームを

作りあげていた。

 

 

見えたままに書く。をして

数人ずつでシェアをしたらね。

 

 

ある人の文で

他の人が涙を流してた。

 

 

人を感動させるために書いたものではなくて

ただ、見えたものを書いただけ。

 

一般的に見たら

特別でもなんでもない普通の文。

 

 

だけど、

感動が生まれるのは

心に届く言葉だったから。

 

 

ある人の言葉にした

見えない想いを込めた言葉は

他の人に伝わった。

 

 

 

言葉が伝わるのではなくて

想いが伝わるのだと思った。

 

 

そう。

想いが言葉となり、伝わるんだ。

 

 

神様のボート (新潮文庫)

神様のボート (新潮文庫)

 

 

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読書記録48【看る力 アガワ流介護入門】阿川佐和子・大塚宣夫

 【看る力 アガワ流介護入門】阿川佐和子・大塚宣夫

看る力 アガワ流介護入門 (文春新書)

看る力 アガワ流介護入門 (文春新書)

 

 

介護って

どんなイメージを持ちますか?

 

 

私は、仕事柄

介護現場にいるので

いろんな家族の介護場面に

触れることがある。

ほんの、ほんの一面ね。

 

 

たまに

自分事として想像する。

 

『わたしだったら、どうする?』

 

 

親はまだ50代半ば。

まだ介護が必要になる年齢ではない。

 

祖父は97歳。

独り暮らしを現在進行中。

 

 

施設は?

と、話題に上がる事もあるけれど

本人が拒否。

 

 

なんとか、

ひとりで暮らせているのならば

その生活を続けられることが

本人にとっては幸せなのだ。

 

 

起きたい時間に起きて

食べたい時間に食べる。

食べたくなければ、食べない。

 

お風呂には

ずっと入っていないから

そこだけは、入って欲しいけれど。

 

著書にもあるとおりで

入らなくても、死ぬわけではない。

 

 

2~3週間に1回のペースで

祖父の家に行き

(お小遣いをもらい)

昼食を外に食べに行き

買い物もする。

 

 

昼食は

回転ずしかラーメン。

 

硬いものは

食べられないから

やわらかいものを。

 

 

買い物は

ほぼ買うモノは毎回一緒。

 

 

変わったものを食べなくて

毎日、似たような食事をしている。

 

 

それでも

エビスビールを飲むし

魚屋で刺身を買って食べる。

 

 

食べたいと思うものが

まだまだあるのは

素晴らしいことだよ、

おじいちゃん。

 

 

 

 

祖父のことを

心配でないわけじゃない。

けど、

一緒には住めない。

 

互いにストレスだから。

 

 

今の、

たまに会う関係だから

よぼよぼと歩くスピードも

合わせていけるし、

耳の遠い通じにくい会話も

一生懸命聞こうとできる。

 

(もしかしたら

お小遣いをもらえるから

半分、仕事の気分でいられるのかも。笑)

 

 

 

 

介護は

いつまで続くかわからない。

 

今、頑張れば!

は通用しない。

 

 

自分のことを優先しながら

相手のことも優先する。

人に、サービスに頼りながら。

深刻になりすぎずに。

 

その辺り、

阿川さんの介護は

すごいなぁ~って思った。

 

 

 

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本ことば083【まく子】西加奈子「みんなで分かるからこそなおさら、その中の自分の「分かる」という気持ちを丁寧に慈しむことが出来た。」

【まく子】西加奈子

 

誰も、明らかに説明不足のぼくを責めなかった。ぼくたちは言いようのない共感の中にあった。それは言葉では追い付かないものだった。それぞれの想いを、それぞれで分け与えているような感覚は、でも、かえってそれぞれの体がひとつであることを、ぼくたちに教えてくれていた。みんなで分かるからこそなおさら、その中の自分の「分かる」という気持ちを丁寧に慈しむことが出来た。それがもしかしたらみんなの言う「自分だけのものだ」と思うということなのかもしれない。圧倒的な安心感のさなかにあるからこそ誰かと比べなくてもいい、この感覚こそが「自分だけのもの」なのかもしれない。

 

 

 

『「分かる」という気持ちを

丁寧に慈しむ』ってどういうこと?

  

  

「分かる」と思ったら

瞬間的に「分かる」と思ってしまう。

 

 

丁寧に。の時間は

少なくとも

これまで生きてきたわたしの人生では

なかったことだ。

 

 

 

でも、

 

『圧倒的な安心感のさなかにあるからこそ

誰かと比べなくてもいい、

この感覚こそが「自分だけのもの」なのかもしれない。』

 

の感覚は分かる気がするよ。

 

 

 

この場は安心しきれると思ったら

ただ、わたしはわたしでいることができる。

 

 

誰かと比べる時って

わたしだけではない

誰かの基準も自分の感覚に侵入してて

境界線があいまいになる。

 

 

人がいてこその自分で

侵入してきた誰かの基準に

いつの間にか浸食されてしまい、

人の感覚こそが

自分の感覚になってしまう。

 

 

 

あの人はああ感じてるから

この人はこう感じてるから

だから、

わたしはこう感じないといけない。

 

とか、

信じ切れていない場にいると

さぐってしまうんだ。

 

 

 

わたしもそう感じました!と

自分に催眠術をかけていく。

 

 

 

比べない。

 

 

自分の感覚を

うけたそのままに信じる。

 

 

 

だれにも侵されていない

自分だけの感覚。

それを信じてあげるんだ。

 

 

比べないでいられる場が

数人との場だとしてもあることに

心から感謝するよ。

 

 

あ、でも一か所じゃないな。

数か所あるかも。

ありがたいね。

 

 

 

そこで

練習して、トライして

だんだんと比べない場

自分の感覚を信じていられる場を

地球上に増やしていくのです。

 

 

 

まく子 (福音館の単行本)

まく子 (福音館の単行本)

 

 

 

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本ことば082【きりこについて】西加奈子「 自分のしたいことを、叶えてあげるんは、自分しかおらん。」

【きりこについて】西加奈子

 

「あたしは、自分のおっぱいと、足が綺麗やと思うから、出してんの。それをなんで、襲ってくれ言うてるなんて、思われなあかんの?」

「でも・・・・・・、ほら、もうちょっと・・・・・・」

「何?あんたらみたいな服着れ言うてんの?そんなだっさいブラウスと、暑苦しいスカート?そういう恰好してたらレイプされへんかった、言うの?」

「心の被奪です。」

「知るか!レイプはレイプじゃ!大体、セックスのこともそういうこと、とか言いやがって!あたしは、自分の好きな服を着るし、していときにセッ、クッ、スッ、するんじゃ!」

ちせちゃんはとまらなかった。強く握られ過ぎて、きりこの手は、白くなった。きりこはその手を見ながら、ちせちゃんの言ったことを頭の中で反復していた。

「あたしは、あたしの服着て、何が悪い?あたしが、あたしの体大切にして、何が悪い?」

そうだ、と、きりこは思った。

きりこは、きりことして生まれて、好きな服を着て、自分のことが、自分の体が、顔が、大好きだった。誰がそれを、そのことを、間違ってる、おかしいと、言うことが出来るだろうか。

 

 **

 

自分のしたいことを、叶えてあげるんは、自分しかおらん。

これは、きりこが自分自身に対しても、言いきかせた言葉だった。

「ぶすやのに、あんな服着て。」

あんな言葉に、屈することはなかった。

彼らは、「きりこ」ではない。きりこは、きりこ以外、誰でもない。

思い出した。

小さい頃、きりこは、「きりこ」の欲求に、なんと忠実であったことか。お姫様のようなドレスが来たければ、迷わず袖を通したし、パァパのだっこを求めれば、その温かさは間違いなく、そこにあった。

 

 

 

 

【着たい服を着る】

 

それでいいと思うんです。

 

 

着たい服を着てるからテンションが上がる。

また服を着るのが楽しくなる。

 

 

 

ちせちゃんの、

「自分のおっぱいと、足が綺麗やと思うから、出してんの」って

とってもかっこいい♡

 

 

そして、

「わたし、自分の足は綺麗だと思うから、出してます」と思った。

 

でも、そんなの今初めて言った。

 

 

二の腕は太くて、自分から出したい!とはあまり思わないけど

足なら出せる。

 

短いスカートもはける。

 

 

綺麗だと思っているところを出している時は

自信があるから周りに「見てほしい」と無意識に思ってる。

 

 

そういった心が

エネルギーとなって、オーラとなって

人に伝わっていくんだ。

 

 

 

きりこは、ぶす。

けれどもお姫様のドレスをいつの間にか着なくなってた。

 

周りからの反応で自分を「ぶす」と知り

ぶすはかわいいものを着ちゃいけないと思い込んでしまったから。

 

 

「ぶす」というのも

「かわいいものを着ちゃいけない」というのも

全部は思い込み。

 

 

 

たとえ、何を言われても

「わたしはこの服を着たいから着ているの♡」と

堂々と言われたら

その服が似合うように見えてしまうようになる。

 

 

 

自分が「ダサい」と思ってる服を着ていたら

【ダサい服を着ているわたしもダサくなる】

 

 

自分が「かわいい」と思ってる服を着ていたら

【かわいい服を着ているわたしもかわいくなる】

 

 

 

服は自分の一部で

自分を外に表現するツールだ。

 

 

そして、自分の分身でもある。

 

 

最近、職場の人に

私の着ている服は【パンチがある】と言われた。

 

外から見ると、

そう見えるのか。と、驚いた。

 

 

確かに、まぁ、

柄物が好き。

 

今年買った

一番のお気に入りは

【インコの絵がいっぱい描いてあるシャツワンピース】

 

『かわいいけど、自分じゃ着ない』

と、言われる。

 

 

えええーーー!

『なんで、着ないんだろう?』

その部分を、聞いてみたら

おもしろかったのかもな。

 

 

 

着たい服を着れる。って

いいよね。

 

 

 

 

 

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読書記録47【彼女について】よしもとばなな

【彼女について】よしもとばなな

 

彼女について (文春文庫)

彼女について (文春文庫)

 

 

現実って、

どこから現実なのか

線を引くことは難しい。

あいまい。

 

 

自分の目にうつっているものが

現実なのだとしたら

人によって現実は違う。

 

 

しかもさ、

人って同じものを見ている。

と、思うかもしれないけれど

【ピッタリと同じものを見ている。】

ことは、ありえない。

 

 

自分の「目」と「考え方」

というフィルターを通してみている。

 

 

あの人にとっての現実が

この人にとっての現実でないことなんて

数えたらきりがない。

 

 

 

事実と現実は

違うのかもしれない。

 

 

 

目にうつったものを

脳に伝わって理解するのに

0.1秒かかると言われてる。

 

時間差が生じる。

同時に

見ていることだって

ありえないんだ。

 

 

そんなことを考え始めると

自分が見ている世界が

現実なのか

幻なのか

どうでもよくなってくる。

 

 

 

生きているのか

死んでいるのか、

も、そう。

 

 

地球に生きていても

生きている実感がないときもあれば、

幽霊の存在だってあるわけだから

死んでいるのに

生きていると思う場合だってある。

 

 

見たものを

見たままに

たまに、事実と比較しながら

それでも

自分の見たい世界を

生きていていいのではないかな。

と、思うのです。

 

 

 

 

 

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本ことば081【14歳の水平線】椰月美智子「なんで登場人物の気持ちをおれが当てなくちゃいけないっての」

【14歳の水平線】椰月美智子

 

「そもそもさ、国語の文章問題とかって、わけわかんなくね?なんで登場人物の気持ちをおれが当てなくちゃいけないっての。好き勝手に自由に読ませてほしいよ、まったく」

おれの言葉に、ミラクルが再度深くうなずく。国語の文章問題は本当に苦手だ。実際、正解なんてあるのかと思う。主人公の気持ちなんて、その本人しかわからないんじゃないだろうか。と感じているに違いない。

 

 

 

確かに。

そっか、そう思ってたかも。

 

 

けど、

それ以上に

わたしは、登場人物の気持ちを

想像するのがおもしろかった。

 

 

テストの時は

自分の解答と模範解答が

異なることもあって

 

「なんでー!!!!」と

思ったこともあった。

 

 

ただ、

合っている割合のほうが

多かったから、

だいたいは架空の主人公の気持ちと

一致していたんだと

問題を解いていたころのわたしは

納得していたんだろう。

 

 

 

10代のころよりも

歳を重ねたわたしが

もしも、問題を解くのだとしたら

純粋に主人公の気持ちを想像することは

なくなるだろう。

 

 

 

それよりも

問題をつくった人の気持ちを想像して

解答をみつける。

 

 

 

なんか、

現実的すぎて

夢から覚めるけど。

 

 

 

違う視点を手に入れてしまったから、

問題を用意した人の意図を考え

それに適した答えを出すでしょうね。

 

 

 

これもまた

想像することにはなるけど、

 

相手が変わるだけで

なぜ、こんなにも印象が変わるんだろうか。

 

 

 

 

ただ、解答を出すためだけに

物語を読むことに

魅力を感じないのでした。

 

 

 

小説は

自分の好きに受けとって

読み進めていくのが好き!

 

 

 

14歳の水平線

14歳の水平線

 

 

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