ことばの世界

本から自分を知っていく、そんな場所

今のわたしより、1.1倍 理想に近づく

今のわたしも

充分すてき(なはず)

 

とうてい

すてきとは

思えなくて

凹んだり

やさぐれるほうが

多いけど

 

できない自分に

落ち込んで

できない自分に

会いたくなくて

動くことすらしなくなる

 

すると

どんどんと

理想から離れてく

 

 

あれ?

あれ?

あれれれれ?

 

 

見栄っ張りの

わたしは、

理想だけは

とっても大きい

 

 

今のわたしから

だいぶのだいぶ

何年かけて歩いても

近づけないだろうの

離れたところに

 

 

何年かけても

と、思いつつ

今すぐに

ワープしたいと

願っちゃってる

 

 

だからだね

苦しくなるのは

 

 

 

理想は

大きくていいんだよ

 

だけど

その理想になるのは

少しずつ

 

昨日より今日

今日より明日

 

昨日の

1,1倍の理想の姿でいる

それでいいの

 

 

無謀だとすら思ってしまう

大きな大きな理想は

叶えられるから描かれた

だから、

叶えると信じ

一歩ずつとね

近づいていくんだよ

本ことば052【サーカスナイト】よしもとばなな「わずらわしくても、つながっていてちょうだい。」

【サーカスナイト】よしもとばなな

 

つながりのない生き方はよくないよ、せめて私たちとはつながっていて、と義母はいつも私に言う。

自由なのはいい、うんといいことだ、でもだれともつながっていない、いつ切れるかわからないようなつきあいばかりの人生はほんとうの自由というものではない。

ご両親が亡くなってひとりで生きてきたあなたには、ちょっとそういうところがある。ひとりで闇の中に消えていってしまうそうな、心もとなさがある。それはもしかしたら魅力につながっているのかもしれない。でも、そんな魅力ならもう捨ててしまいなさい、わずらわしくても、つながっていてちょうだい。

 

 

 

「つながり」

わたしにとって

最大重要なキーワード。

 

誰かがいないと

つながりを知ることはない。

 

 

孤独=自由

ではない。

 

 

つながりがありつつの

自由って

一体なんだろう。

 

 

自由は

自分での

気ままにうごけることだと

思ってた。

 

だけど、

それだけじゃなさそうだ。

 

 

 

つながりのある

人の中にいて

自分で決められること。

自分の意思をもっていられること。

 

 

 

つながり

自由

両方をもっていること。

 

 

 

つながりって

煩わしいことのように

思えるけど、

つながっているから

その先の人に

可能性を教えてもらって

自由を知るもできるんだ。

 

 

 

サーカスナイト (幻冬舎文庫)

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本ことば051【ハーモニーの幸せ】田口ランディ「品位とは色気であり、色気のない品位などありえない。」

【ハーモニーの幸せ】田口ランディ

 

 女性がいつまでも女性的魅力を失わないこと。その意味を再び考えた。

 命の伝承をする人たちは、みな、ある「色気と品位」をもっている。この二つは矛盾するように思えるけれど、実は同時に立ち上がる力だ。品位とは色気であり、色気のない品位などありえない。エロスと抑制のバランスが、生命をくるくると輪舞させている。

 

 

女性が女性でいること。

女性が女性であること。

 

 

わたしの

「女性らしい」のイメージが

良い意味で変わったのは

AFPのティーチャートレーニングに

参加をしてからだ。

 

 

画一的な「女性らしい」ではなくて

自分の中に眠ってる「女性らしい」を

感じていけたことが

革命的だった。

 

 

同時に

参加してる人たちの

「女性らしい」も目撃ができたから。

 

 

 

ランディさんの言葉を借りれば

わたしは「色気」があるのが

「女性らしい」と思っていた節がある。

 

 

女を武器にしてる人を

「色気」があるように感じていた。

 

で、

わたしはそうはなりたくない、

「色気」はいらないし

だったら

「女性らしい」もいらないわ。

と、

ずっとオッサンで生きてきた。

 

 

「女性」であることは

色気も品位ももっている。

 

 

そこには

美しさが存在する。

 

 

自分のもっているアイテムを

うまく使っていくんだ。

 

 

いくつになっても

女は女。

 

 

歳を重ねていくたびに

女の魅力が増していくような

生き方をしていきたい。

 

 

日常でAFPのワークを

落とし込んでいくうちに

自分が「女」であることが

当たり前なんだけど

特別であることを感じて、

 

その理由が何なのかは

まだうまく説明ができないのだけど、

わたしは「女」を生きているんだと

自覚していくんです。

  

 

ハーモニーの幸せ

ハーモニーの幸せ

 

 

 

今までの「本ことば」のまとめはこちら

 

 

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本ことば050【あしたはひとりにしてくれ】竹宮ゆゆこ「もしかしたら、これらは全部、自分のだ」

【あしたはひとりにしてくれ竹宮ゆゆこ

 

もしかしたら、これらは全部、自分のだ。持っていても、いいものだ。もらいながら、与えながら、大事に抱きかかえていてもいいものだ。

(・・・・・・ごめんな。満ち足りている俺を、許してくれ)

 

 

 

 

「満ち足りてる俺を、許してくれ。」

  

わたしだけなのかな?

他の人もそうなのかな?

 

 

「満ち足りてることが、いけない」

と、どこかで思っているのって。

  

 

満ち足りていたら

それでいいはずなのに、

満ち足りてたら

申し訳ない気持ちがするのはなぜ?

 

  

誰に対して

申し訳ないと思ってしまうの?

 

 

 

それは

人の集合意識にあるものなのかもしれない。

 

 

 

自分だけが幸せであってはいけない

とか

自慢話としちゃいけない

とか。

 

 

 

幸せでいたら

誰かに妬まれるから

幸せでいることをやめておこう、

隠しておこうと

してしまうこともある。

 

 

妬みがこわいから。

 

 

 

そうして、

本当は満ち足りて幸せでいるはずなのに

どんどん、自分を幸せから遠ざけていく。

 

 

 

それって、

まわりまわって

自分は幸せなの?

 

 

なんで

幸せにできるはずなのに

幸せから離れていくことを

選択してしまうのだろうか?

 

 

 

バカだと思った。

 

 

 

そして、

自分に対しても

周りに対しても

失礼だと思った。

 

 

 

自分を愛して

自分を幸せにしてあげることが

わたしが一番、歓びに満たされることではないのか?

 

 

 

そして、

周りの人は

わたしの幸せを歓んでくれない人なのだろうか?

 

 

いや、違う。

 

 

 

歓んでくれる人だ。

 

 

 

自分が自分を満たしていたら

満たされた目で世界を、人をみることができる。

 

 

与えられたもの

ぜんぶ、もってていいんだ。

 

 

満たされているわたしは

それでいいんだ。しあわせだ。

 

 

満たされてて、ごめんな。

 

じゃなくて

 

満たされてて、ありがとう。

 

を選択する生き方をしていくんだ。

 

 

 

 

 

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本ことば049【かもめ食堂】群ようこ「自然に囲まれている人がみな幸せになるとは限らないんじゃないかな。」

かもめ食堂】 群ようこ

 

 

「自然に囲まれている人がみな幸せになるとは限らないんじゃないかな。どこに住んでいても、どこにいてもその人次第なんですよ。その人がどうするかが問題なんです。しゃんとした人は、どんなところでもしゃんとしていて、だめな人はどこに行ってもだめなんですよ。きっとそうなんだと思う」

 

 

 

どこにいても、

何をしていても

最終的にはその人次第。

 

 

どこにいても

何をしていても

幸せな人は幸せだし

 

どこにいても

何をしていても

不幸せだと思ってる人は不幸せ。

 

 

 

幸せそうに見える人をみて

わたしも同じ場所にいったら幸せになれる♪なんて

その場所に行ってみるけれど

幸せになれるとは限らない。

 

 

逆にね、

わたしだったら、あんな状況じゃ笑ってられない

と思うピンチにいるのに

幸せそうにしている人がいることもある。

 

 

場所じゃない。

本人次第。

 

 

 

人はみんな、自分の思う人生を生きてるんだもの。

 

 

幸せはいつでも感じられる。

自分のアンテナを、幸せ受信モードにしていればね。

 

 

だから

場所もやることも関係ないんだよ。

 

 

 

とか、なんとかいうけどね、

わたしだって人の場所がいいなぁ~。と思ったり

あれを手にしたら幸せなのに!とか思うことあるよ。

 

 

自分を下げて、人を上げて

自分は不幸せだあ~!!!なんて

かわいそうな自分になりきってる時。笑

 

 

痛いけどさ、

そこにどっぷりはまると困るんだけど、

 

その自分を客観的に見てるもうひとりの自分がいるとね、

自分の知らなかった心が見えてくることがあるんだ。

 

 

まあ、

わたしにとって、わたしは最高のパートナーだし

わたしでいることが幸せなんだわ♡

 

 

 

かもめ食堂 (幻冬舎文庫)

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本ことば048【蘇える変態】星野源「生きるとは、自分の限界を超え続けることであり、生きるとは、死ぬまで諦めないことである。」

【蘇える変態】 星野源

 

 「一部の人だけ聴いてくれればいい」なんてツマラナイことは死んでも言わん。「どんな方法でもいいから売れたい」なんて恥ずかしいことは死んでも思わん。自分が面白いと思ったことを満足いくまで探りながら、できるだけたくさんの人に聴いてもらえるように努力する。それが我が地獄における、真っ当な生きる道だ。生きるとは、自分の限界を超え続けることであり、生きるとは、死ぬまで諦めないことである。

 

 

 

 

わたしもあきらめない。

 

本の楽しさを、

本と自分との対話の面白さを

たくさんの人に届けることを。

 

 

 

もともと、わたしは諦めやすい性格で

「これ、無理だ」と数%でも思うと諦めてた。

 

少しでも、「出来ない」が脳裏によぎると

「出来る」よりも「出来ない」に頭の中が支配されていく。

 

 

 

『本当にそうなのかな?』と一回自分を疑ってみたの。

 

この疑うというのは

自分を信じるからできること。

 

 

『わたしは、そんなもんじゃない!』っていう

自分に対する信じる心があるからこそ

自分のことを疑ってみたの。

 

 

 

そしたらね

「本気で命をかけてやりたいことがわからなかった」

 

 

だから

何をやれば良いのかわからないし

どれも中途半端になっていく。

 

 

自分の好き・きらいも曖昧だから

どれでもいい になって

本当の好きを選べなくなる。

 

 

世の中の損得ではなくて

自分が本当に好きなものはなんだろう?

 

辞めなさい。と言われても

お金あげるから、それやらないで。と言われても

やり続けたいことって何だろう?

 

と考えたときに

「本を読むこと、本屋さんにいくこと」はやめられないと思った。

そして、本を読んでからの感想、自分の想いをめぐらせることも

同時にやめられないとわかった。

 

 

 

でも、これが世の中の役に立つのかなんてわからない。

 

 

この時点ですでに

人の評価を気にしている自分が登場しているんだ。

 

 

そうなる前に

まずは続けてみろよ。と内側の自分に怒られた。

 

 

 

だから続けていくのです。

 

 

自分の限界をこえながら

死ぬまで諦めずに生きていくんだから。

 

 

そしてやっぱり、このブログ

できるだけ多くの人に届けていきたいなぁ~

 

 

 

蘇える変態

蘇える変態

 

 

 

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繭のなかで、スクスクと

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人と関わることが

億劫になって

ひとりになりたかった

 

人と会うことが

イヤになってた

 

 

会うと

その人と会っていたころの

わたしに

引き戻されるから

 

 

昔と

未来との

ギャップがありすぎて

自分の位置を見失う

 

 

人が変わるときは

一瞬だ。

って言うけども

わたしは、そうとは思えない

 

 

変わる準備を

繭の中でじっくりと

変化しながら

その時を待っている

 

 

変化途中は、

自分がなくなってるから

ひとりでこもるんだ

 

 

繭ごもり

そんな時があるから

いいんだよ