ことばの世界

本から自分を知っていく、そんな場所

「ろ」の詩【ロボット ロマンス】

ロボットは

ロマンスに

あこがれた。

 

どんなに

心を露出しようとしても

心がないから露出できない。

 

ロマンスは

ドキドキドキと

心のトキメクものがたり。

 

ロマンティックな

ものがたり。

 

 

 

ロミオとジュリエットのような

熱い恋をしてみたい。

 

路上で抱き合って

キスをしてみたい。

 

六月の雨の季節に

相合傘で一緒に歩いてみたい。

 

 

 

ロマンスにあこがれた

ロボットは、

ロケットにのって

宇宙へと

心を手に入れる旅にでた。

 

 

どうかどうか、

その旅が

ロマンあふれる時間に

なりますように。

本ことば011【言葉なんかおぼえるんじゃなかった】田村隆一「肉眼だけが詩を詠むことができる」

【言葉なんかおぼえるんじゃなかった】田村隆一(語り)・長薗安浩(文)

 

 

旅の魅力は、未知なるものと遭遇することにある。

 知らない土地、風景、顔、言葉、花、そして自分自身。遭遇しながら、自分の肉眼を養っていく。「私は、一・五です」なんでのとは違うぜ(笑)。それは視力の問題。肉眼というのは、ものの奥まで見えるような眼だよ。鍛えれば、本当のいいものがわかってくる。肉眼だけが詩を詠むことができる。年齢に応じて、未知との出会いの新鮮度も違ってくる。

 

 

 

 

肉眼だけが詩を詠むことができる。

 

「肉眼」なんて言葉

わたし、つかったことないですよ。

 

 

さっそく、意味を調べました。

 

肉眼:肉体に備わっている目。特に、顕微鏡・望遠鏡・めがね等を使わない、人間の視力

 

 

 

んー、でもな。

この本で使われてる「肉眼」は

もっと、なんていうんだろう、

こうさ、眼で見ているものだけではない

真実を見透かすような表現なんだよね。

 

 

 

鍛え上げられた「肉眼」は

何を見ていくのか。

 

 

同じ景色も

違って見えていく。

 

表面だけに

惑わされない。

 

 

 

 

だから、

旅をするんだ。

 

 

新しいものとの遭遇は

「肉眼」を研ぎ澄ましていくから。

 

 

知らなかったものを知る。

そうして、経験をものにする。

 

 

旅で

知らなかった、未知の自分と

出会ったことはありますか?

 

予想もしてなかった自分との出会い。

 

 

いつも、同じところにいてはいけない。

常に、人は生きながらに

生まれ変わっているものだから。

 

 

 もっと「肉眼」を鍛えて

詩を詠みたいですわ。

 

 

「い」の詩【今は一瞬。今を生きよう】

「い」は
「今」を「生きる」ことを
教えてくれる。
 
自分が
ここに「居る」ことを。
 
そして、
ここに存在する「意味」を。
 
 
 
 
「息」をすることは
外の空気と
自分の体内の空気の
「入れ替え」作業。
 
「息」を止めたら
死んでしまうから。
 
「いつも」「いつなんどきも」
わたしは「息」を止めることはできない。
 
「息」は
わたしはここに「居る!」という
自己表現だから。
 
 
 
 
 
「今」は「一瞬」
 
「今」を捕まえることはできない。
 
 
「今」という「位置」は
ここにしかないから。
 
 
 
さあ!
「今」を「いきいき」と「生きよう」

わたし・私・ワタシ・・・

 

「わたし」

「私」

「ワタシ」

 

同じ「わたし」なのに、

本によって

ひらがなだったり、漢字だったり、カタカナだったり

表記が違うんだよね。

 

 

ちなみに

わたしが「わたし」を使うときは

断然ひらがなです。

 

 

漢字の「私」も、

カタカナの「ワタシ」も

わたしを表現するには

ちょっと違う。

 

「わたし」が一番しっくりくる。

 

 

「私」はかしこまった時の印象で。

「ワタシ」は、「わたし」ではない

もう一人の自分を表現する印象。

 

 

あくまでも、わたしの感覚だけど。

 

 

 

話してるときは

おんなじ「わ・た・し」なのにね。

 

 

文字にすると、

音だけではない

カタチが伝えてくる

「わたし」のニュアンスがあるんだと思っています。

 

 

 

本を読んでいるときに

作者さんは

どの「わたし(私・ワタシ)」にしてるのかな?

なんて考えてみたりしてね。

 

 

なんだか

「わたし」ばっかりになりましたが、

形としての「わたし」の表現についてでした。

 

 

本ことば010【四月になれば彼女は】川村元気「些細な気持ちを積み重ね、重ね合わせていくことを怠った」

【四月になれば彼女は】川村元気

  

私たちは愛することをさぼった。面倒くさがった。

些細な気持ちを積み重ね、重ね合わせていくことを怠った。

このまま、私たちが一緒にいることはできない。

私は失ったものを、取り戻したいと思っています。

たとえそれが、カケラだとしても。

 

 

失ったものを取り戻す。

 

 

わたしは、

彼と別れて、戻ってを繰り返し

数回目に戻ったときに

これで次別れたらもう戻ることはない。と

自分の中で誓った時に

やっと丁寧に気持ちを積み重ねることをしていった。

 

 

一人ではできないこと。

重ね合わせること。

 

 

相手がいて成り立つのに

わたしはいつも

いっちょまえに一人で全てをやっていたと

思っていた。

 

 

気持ちを合わせることだって

相手なら、わたしのことわかってくれてるでしょ。と

当然のことのように勘違いして

気持ちを確認することを怠った。

 

自分の想いを伝えることすら怠った。

 

 

愛するって、

いったい何なのだろう?

 

 

自分ばかりが求めるだけでは

愛することとは言えない気がして、

愛をもらうこと、与えること

両方の循環がなりたって

愛することができると思った。

 

 

 

人は

自分以上に、他の人を愛することはできない。

 

 

 

誰かへの愛を大きくするならば

自分への愛を大きくしていくことが

第一歩なんだ。

 

 

自分への愛が

自分への信頼が

相手へも広がっていくから。

 

 

 

四月になれば彼女は

四月になれば彼女は

 

 

 

本ことば009【まく子】西加奈子「そ、そのときは、そのとき、初めて、俺は、ちゃんと、傷つくんだし。」

【まく子】西加奈子

 

「嘘だってど、どうして分かる?」

ドノは、ぼくのことをじっと見た。初めてちゃんと目を合わさなかったかもしれなかった。大人がぼくを見るような目ではなかった。

「どうしてって・・・・・。だって、ベランダから空に階段が伸びたとか、家に虎を飼ってるんだとか。あり得ないじゃないか。実際ぼくらは家を見に行ったんだ。階段なんてなかったし、虎あんんていなかった。」

「でも、でも、でも、類にはそう見えてたとしたら?」

「え?」

「類にはそう見えてるかもしれないし。空に通じる階段があって、庭には虎がいるって。類、虎の絵も描いていたし。」

「でも・・・・・・。」

「ど、ど、どうして信じてやらないのか分からないし。」

ドノは、今度こそ本気で傷ついていた。まるでドノが類だったみたいに。そしてぼくが、目の前にいる類を傷つけたみたいに。

「ドノは、類の言うこと信じるの?」

「信じる。」

ドノはすぐに答えた。はっきりとした声だった。ドノのいつもの、おかしな話し方ではなかった。

「俺は信じる。」

ドノが力をこめたのが分かった。ドノの手の中にある『チェンジ!』が、ぐにゃりと歪んだからだ。

「誰かが言うことを、俺は信じるし。それは嘘だって責める前に、どうせ嘘なんだしとかじゃなくって、俺は言葉通り、そのまま受け止めたいんだし。類が虎を見たっていうなら、それを信じるし、状況なんて関係ないし。そいつがそう信じてほしいことを、俺はし、信じるし。」

ドノは興奮していた。興奮していたけれど、『チェンジ!』を読んでいるときとは違った。あんな風に、みっともなくなかった。

「でも、嘘だったら?」

「な、なにが?」

「ドノが信じたことが、嘘だって分かったら?」

「そ、そのときは、そのとき、初めて、俺は、ちゃんと、傷つくんだし。」

「ちゃんと傷つく?」

「信じて嘘つかれるのが嫌だから、最初から信じないのは、い、嫌だし。俺は、全部信じて、じ、自分の頭で嘘だと分かって、分かってから、傷つくんだし。」

「・・・・・・。」

「お、俺は、そうしたいんだし。」

 

 

この本の中で今回、わたしが一番の一番に響いたところ。

 

もうこの文以上に、言う事はないのです。と言い切ります。

 

 

 

ドノのことは、

物語の途中までずーっと

冴えない、どうしようもないやつだな。と思ってた。

 

 

なのに、なのに、なのに。

 

この瞬間に、ドノを見る私の目がガラっと変わった。

 

人を一側面からだけで判断してはいけないね。

 

 

 

 

何が、どう響いたかと言いますと。

 

 

「信じること」を貫き通しているドノは

本気でかっこいい。

 

もし、嘘だったら、嘘だと分かったときに初めて傷つく。

 

 

 

私に足りていないのは、その覚悟だった。

 

 

初めから傷つきたくないかた、疑って。

疑うから信じきることが出来なくて。

でも、本当は信じ切りたくて。

 

このジレンマの中にいたんです。

 

 

 

もしかしたら、

疑い深い人は、誰よりも信じたい人なのかもしれない。

 

 

信じることの純粋さゆえに

本当に信じられるかどうかを吟味してしまう。

 

 

少なくとも、私はそうだ。

 

 

 

素直に信じすぎてバカにされてことも過去にある。

騙されたこともある。

 

 

騙されたで思い出した。

 

 

大学生の頃

悪徳商法的なものに引っかかったことを…

 

 

家を訪問してきた優しいお兄さん(おじさん?)を信じ切って

コンロの上にある換気扇に取り付けるフィルター(みたいなもの)を

購入してしまった経験があります。

 

1万円ちょっとしたかな。

大学生にとってはさ、1万円大きいよね。

 

 

親切に、モノの必要性を説明してくれて、

『そっか~、つけないといけないんだ』とそのまま信じたわたしは

購入してしまったわけです。

 

 

気分はルンルンですよ。

親切な人に会って、良い買い物をしたのですから。

 

 

 

この出来事を彼氏さんに話した時に

騙されていたことに気が付いたわけです。

 

 

「普通、おかしいと思うでしょ」

と言われましたが

 

怪しい壺を売られるならさすがに疑ったかもしれませんが

信じ切ってたわたしは、おかしいと1ミリっも思わなかったんですね。

 

 

で、後になって

ガーーーーーーーーーンとまんまと傷ついた。

 

 

 

という、一連の経験を思い出しました。

 

 

この時わたしは

「でも、人を疑うなら信じたほうがいいもん」と

思っていたんです。

 

 

今も、

あえて嘘をついたり、だます人はいないと思っています。

 

 

そういう世界で生きていたいの。

人を信じたいの。

 

 

相手の見た世界をそのまま信じたいの。

 

 

 

キーワードは「信じる」です。

 

 

 

まく子 (福音館の単行本)

まく子 (福音館の単行本)

 

 

7/16 買った本たち

本屋さんにいくと

ついついね、買ってしまうわけです。

かわいい本たちを。

 

本日、購入した子たちはこちら。

 

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めずらしく小説は買いませんでした。

 

 

本屋さんでは

興味のないコーナーも

ふらふらと歩くようにしています。

 

すると、

たまにね

目に飛び込んでくる本がいる。

 

 

後は、

いろんな分野の本のコーナーを見るだけでも

情報収集になって面白いんですね。

 

 

本屋さんは天国です。

ああ、たのし。