ことばの世界

本から自分を知っていく、そんな場所

本ことば008【産む、産まない、産めない】甘糟りり子「具体的な言葉を当てはめたいという欲求が生まれた。」

【産む、産まない、産めない】甘糟りり子

 

寒い夜だったけれど、雄二は汗をかいていた。院内の暖房のせいか、あせりのためか、自分でもわからなかった。前向きなあせり。この奇妙な心の動きをなんと呼んだらいいだろうか。ブログをつけるようになって、自分の気持ちの確認をするくせがついた。今までなら、なんとなく、で済ませていた感覚に、具体的な言葉を当てはめたいという欲求が生まれた。

 

 

ブログを書くって

自分を客観視できるんだよね。

 

ブログじゃなくて

ノートに書く。でも

何でもいいんだけど。

 

 

心の中にあるものを

文字として外に出すことは

自分へのフィードバックになる。

 

 

文字にして

わかることがある。

 

 

文字にできない。

言葉にできない。

ってこともあるけど

それでも、

文字に、言葉にするんだ。

 

 

自分と自分との確認作業。

 

 

 

なんとなくで

終わらせないで

自分と対面していけるの。

書いていくと。

 

 

書いているうちに

片隅に潜んでいたものが

前に現れてきてくれることがある。

 

目の前がクリアになっていく瞬間。

 

 

クリアになるのは

見つけて嬉しいこともあれば

見つけて苦しくなることもある。

 

 

でも、

結果的には

ぜんぶ、自分を知るよろこびになるの。

 

 

 

だって

自分を生きているんだもん。

 

 

 

今、何を感じた?

今、何を抱えてる?

 

 

自分に詰まっているものを

言葉化していくって

自分とのお付き合いの中で

大事なことだと思うのです。

 

 

産む、産まない、産めない (講談社文庫)

産む、産まない、産めない (講談社文庫)

 

 

 

 

本ことば007【たった、それだけ】宮下奈緒「自分はできる、自分はいいことをしている、と思っていると」

【たった、それだけ】宮下奈緒

  

「自分はできる、自分はいいことをしている、と思っていると、どうしても相手のことを低く見てしまうように思います」

益田さんは淡々と続けた。

「相手が下手に出ないと、なんで、と思うんです。なんで、俺が親切にしてやってるのに、って」

 

 

 

上下の世界の住人に

なっていました。

 

 

 

 

 

してあげてる。

してあげてる。

してあげてる。

 

 

なに、その上から目線。

 

 

 

自分が上。

相手が下。

 

の世界観。

 

 

 

下に見下した人が

何か生意気なことをすると

ムカついてしょうがなくなる。

 

 

下の人は

自分に逆らっちゃいけないから。

 

 

 

どこまでも

自分を高い位置においてることに

自覚もなにもなく生きている。

 

 

なのに、

自分は誰よりも、

人に親切で優しくて

こんなわたし素敵だと

自分に酔いしれる。

 

 

 

こんなに素晴らしいわたしが

やってあげてるのよ。ってね。

 

 

 

 

傲慢のあらわれ。

 

 

 

してあげてるのにー!!!

 

と、キーっときたときは

自分を振り返ろう。

そうしよう。

 

 

 

「~してあげてる。」

「~させてもらってる」

 

行動としては

同じかもしれないけど

行動にいたるまでの想いが

全然違ってくる。

 

 

 

自分がしたいから

その行動をする。

 

 

そう。

自分のWANTからの行動を

していった方が健全であり幸せ。

 

 

心の中での言葉づかいにも

注意をむけたいものであります。

 

 

心の中は

誰にも聞こえないし、見えないけれど

たった一人、自分自身には

聞こえているし見えている。

 

唯一、ごまかせないわたしが

聞いている言葉なのだから。

 

 

 

たった、それだけ (双葉文庫)

たった、それだけ (双葉文庫)

 

 

 

 

 

本ことば006【冷静と情熱のあいだ】江國香織「言葉は記号のようだった。」

冷静と情熱のあいだ江國香織

 

言葉は記号のようだった。記号だからこそ、あんなに気安く口から滑りでたのだ。大切なことは何一つ言いだせないままに。

 

どれだけ、

わたしは「言葉」に

こだわるのだろうか?

と、自分でも思ってしまう。

 

「言葉」関連のところって

気になって気になって

ついつい、本の中にある言葉から

拾い上げてしまうのです。

 

 

「言葉」が大事なくせに

「言葉」にするのが苦手なわたしです。

 

 

ただの「記号」としてならね

いくらでも、出せます。

 

 

 

この前

彼に「愛してる」と言って

と言われて。

  

言えないわけじゃないし

言うことはできるけど

ただの音の羅列になって

わたしの口から出てくるのです。

 

「あいしてる」の言葉は。

 

 

けれども

薄情で冷淡に思える自分がいたのも事実です。

 

 

 

言えるけど

「あいしてる」と言った分だけ

自分がしらける。

 

 

 

 

そうやって

思ってないことを

言葉にするから

ただの記号になる。

 

 

いや、

彼のことは

好きだし大事なのだから

愛してるが

嘘ではないのです。

 

 

でも、でも。

 

わたしにとっての

「愛してる」が

まだ、実感としてわからない。

 

 

「好き」はわかるけど

「愛してる」はわからない。

 

 

 

「好き」も「愛してる」も

一緒でしょ。と思う人にとっては

こんなの大した問題ではないのかもしれない。

 

 

が、しかし。

 

 

わたしにとっては

大問題で、

大きな大きな違いなのです。

 

 

 

「アイラブユー」

なら言える。

 

 

訳せば、

「愛してる」

にもなる。

 

 

 

でも

日本語で言う

「愛してる」とは雲泥の差なのです。

 

 

この違いに

こだわるあたりが

わたしの言葉への関心なのでしょう。

 

 

 

 

大切だからこそ

その言葉以上に

辞書の意味だけではなく

わたしにとっての意味ものせて

言葉を発したいのです。

 

 

「愛してる」問題については

もうしばらく保留にして

意味を込めて言える日を

待ちたいと思います。

 

 

冷静と情熱のあいだ Rosso (角川文庫)

冷静と情熱のあいだ Rosso (角川文庫)

 

 

 

言葉は言葉。言葉の一部とすべて。

どの言葉を選択するかで

人となりが見えてくる。

 

 

でも、

言葉だけが全てではなくて

言葉のまわりの空気感からも

伝わってくる。

 

 

つまりは

言葉を発している

本人そのものの波動であって

言葉はその一部。

 

 

一部は全部。

全部は一部。

 

 

一部だからといって

偽りではない。

 

けれども

すべてが真実かというと

そうでもない。

 

 

 

何度も

「ありがとう」

「すいませんね」

と言われたけど

 

全然、

感謝も謝罪にも

感じないことがあった。

 

本人は

そのつもりで言ってくれてるのかもしれない。

 

もしかしたら

受けとるわたし側の問題なのかもしれない。

 

 

 

でも。

 

ただ

「ありがとう」といえば

伝わるのか?といえば

エスでありノーなのだ。

 

 

しらじらしく

嘘っぽく聞こえる言葉を

耳にしたことはないですか?

 

 

それこそ、

言葉のみを受け取ってるのではなくて

その言葉の周りにある空気感も受け取って

感じ取っていることなのだと思うのです。

 

 

言葉は言葉。

 

発する言葉は

言葉だけではおさまらない。

 

 

発する本人のエネルギーが

のっかって届くのだと

わたしは信じています。

 

 

 

本ことば005【君の膵臓を食べたい】住野よる「私達は、自分の意思で出会ったんだよ。」

【君の膵臓を食べたい】住野よる

 

君と私がクラスが一緒だったのも、

あの日病院にいたのも、偶然じゃない。

運命なんかでもない。

君が今までしてきた選択と、

私が今までしてきた選択が、

私達を会わせたの。

私達は、自分の意思で出会ったんだよ。

 

 

 

                                       

 

わたし達は、全部自分の意思で選択してる。

小さな選択の連続が

今という現実をつくっている。

 

どれが偶然で、

どれが運命なのかも

決められないし

 

そもそも

わたし達が、今この世界で生きていること自体が

奇跡的なことなんだから

それ以上の偶然も運命も

どうやって作っていけるんだろう。

 

 

人生は「運命」って言葉に任せて

ただ流されていくよりも

 

自分で生き方を決めて

流されながらも方向を定めて

動いていく方が

わたしは楽しいと思うのです。

 

 

全部、自分が選択して

自分の意思のままに動けるカラダを

わたしは持っているんだもの。

 

 

 

朝、目が覚めて

すぐに起きるか、二度寝をするか選択する。

 

起きたら

カーテンを開けて朝日を浴びるか

iPhoneをすぐに手に取りメールをチェックするか

選択する。

 

 

今日の服は

ワンピースにしようか

ショートパンツをはこうか

着たい服を選択する。

 

 

駅までの道のりを

右に曲がるか

まっすぐ進むか

左に曲がるか選択する。

 

 

電車まで後1分の時

走ってその電車に乗るか

見送ってもう一本遅い電車にするか選択する。

 

 

あげだしたら、キリがない選択たち。

 

 

でも、

どの選択も

わたし自身のことは

わたし以外の誰もができないことである。

 

 

 

 

誰かに相談したときだって、

相手が答えてくれたことを

採用するかしないかの

最終決定権はわたしにある。

 

人に聞いたりしていても

やっぱり、最後は自分の選択。

 

 

 

たまに、

「あの人がこう言ったから、それに決めたの」って

人任せのように言う人がいる。

 

人のせいにする人がいる。

 

でもね、

よくよく考えてみてほしい。

 

 

その人の言う通りにする!って

決めたのは誰?って。

 

 

やっぱり自分自身が選択しているんだ。

 

 

自分が選択してきた結果が

今になる。

 

 

だとしたら

今からの選択が

未来のわたしを作っていく。

 

 

全部自分で選んでる。

 

 

 

 

わたしの選択と

あなたの選択が重なり合って

また、新しい何かが生まれる。

 

 

毎日の選択、

たかが選択

されど選択。

 

 

自分の未来は自分がつくっていける。

 

 

 

あなたは、今日どんな選択をしていきますか?

 

 

君の膵臓をたべたい

君の膵臓をたべたい

 

 

本ことば004【きいろいゾウ】西加奈子「大人の基準って、誰が決めるんだろう。」

きいろいゾウ西加奈子

 

「そうか?大人は大人でけっこう大変やで。」

言って、また恥ずかしくなった。私なんて、ちっとも大人じゃない。洋子と張り合って、ムコさんに甘えて、セイカさんの前で大泣きして。大人の基準って、誰が決めるんだろう。ガス代とか電気代を自分で払えるようになったら?髪の毛を上手に編めるようになったら?裸で誰かと眠れるようになったら?きいろいゾウを、見なくなったら?

 

***

 

子供は、学校に行かなければいけないでしょ?お母さんと暮らしたり、好き勝手には生きていけない。でも、アレチさんや、ムコさんは、自由に生きてる。好きな場所で、好きな人と暮らしていける。もちろん大人は大変だろうけど、それでもぼくは、大人がうらやましかった。そんな風に思ったのは、初めてだったよ。ぼくはずっと、大人になるのがこわかったから。

 

 

 

大人になるって何だろう?

いまだに、その答えを見つけ出せない。

 

大人より、大人っぽい子どももいるし

子どもより、子どもっぽい大人もいる。

 

それは、

何の基準で判断しているの?

 

 

 

ひとつには

親の手を借りずに

生きていけるようになったら

大人になれた気がするだろう。

 

社会的な自立。

金銭的にも自立する。

 

親のもとにいたら、

ごはんの用意も洗濯も

全部親がしてくれるから

そこから自由にはなれない気がする。

 

 

いや、それはわたしの話ですね。

 

親のもとにいても

自分でやってる人はやっているでしょうし。

 

 

 

ただ、

小学生が

好きな人ができて

その日からその子と二人で住む!

とかはできないけど

 

大人だったら

好きな人ができて

その日から二人で住むことはできる。

 

 

生きる場所や共に生きる人を

自由に選べるようになる。

 

 

でも、

これが大人なの?って聞かれたら

「そうだ!」と確信をもっては言えない。

 

 

一部の要素ではあるかもしれないけど

全部ではないし。

 

 

そもそも、

金銭的に自立しているのに

実家に今もいるわたしは

親の手を借りている時点で

子どもになってしまうのだろうか?

 

それとも

好きな場所を実家としただけだから

大人になるのだろうか?

 

 

ん~、わからない。

 

 

大人と子どもの境界線なんて

はっきりと分かれていなくて

 

誰もが

大人と子どもの間を

行ったり来たりしてるんだろうな。

 

きっとそうだ。

 

 

 

そして、ひとつ思った。

 

親から見たら、

子どもはいくつになっても子どもなんだよね。

 

 

てことは、

親の親から見たら

親はいくつになっても子どもなわけで。

 

 

やっぱり、みんな

大人であり、子どもであるんだな。

 

 

きいろいゾウ (小学館文庫)

きいろいゾウ (小学館文庫)

 

 

本ことば003【アムリタ】 吉本ばなな「彼はきっと、泣きたがっているんだ。」

【アムリタ】 吉本ばなな

 

とぼけていたんじゃないとしたら(そうじゃないのはわかっていた)、彼はきっと、泣きたがっているんだ。

私は思った。

泣きたいのに泣けなくて、無意識のうちにそういうきっかけを捜したり、選びとったりしているんだ。

何とつらい。

 

 

泣きたい時ってある。

 

 

ただ、

泣きたい時ってある。

 

 

 

理由はわかんないけど

涙を流したくてしょうがないとき。

 

 

 

出したい感情が先にあって

出せる理由を外に探してしまう。

 

いや、

出したい感情すら

その感情に名前をつけた時点で

本来の出したかったものとは

違っているのかもしれない。

 

 

 

何も理由がなくても

泣ければいいのに。

 

泣けばいいのに。

どうして、泣かないの・・・?

 

 

そう。

「何か理由がないと

泣いちゃいけない」

と、わたしは思っているんだ。

 

 

 

理由はわからないのに

涙が出てきてしまうことを

わたしは何度も経験している。

 

止めたくても

止めることのできない

自動的に流れてくる涙。

 

 

 

人前でやった瞬間

「どうしたの?なんで泣いてるの?」

と聞かれ

 

 

「わかんない。」

と正直に答えたところで

人は理由を探そうと

余計なおせっかいをしてくれる時がある。

 

 

その

小さな親切、大きなお世話のおかげで

「泣くには理由が必要だ」

と、わたしの心に刻まれていったのかもしれない。

 

 

泣きたい時は

ただ泣いていいじゃない。

 

 

 

わたしは、

自分が泣き虫なのを自覚してる。

 

 

そして、

ところかまわずとまで言わなくても

勝手に涙が出ることが多くなってる。

 

 

その時は、

多少、周りは気になるものの

泣いてしまうことにしてる。

 

 

電車の中や

街を歩いている時。

 

 

泣けてしまう時があるんです。

 

 

声をあげて泣きわめくのではなく

ただただ涙が流れる泣き方。

 

 

 

まぶたを閉じるたびに

涙が頬を流れていく。

 

 

 

その涙の流れを感じながら

そのまま流してしまう。

 

 

 

それでいいんだ。

 

 

 

泣きたいものは

留める必要はない。

 

 

 

 

理由なく泣けばいい。

 

 

 

 

 

それが出来ないから

何かきっかけを捜して

泣いてる理由にするんだ。

 

 

 

それもいいと思う。

 

 

 

泣くのを我慢するより、

泣けるのであれば。

 

 

 

 

泣くのが良いわけじゃないのだけど、

泣くのを我慢するのはイヤだ。

 

 

 

自分の感情に

自分のカラダの反応に

素直でいることを大事にしていきたい。

 

 

 

アムリタ〈上〉 (新潮文庫)

アムリタ〈上〉 (新潮文庫)

 
アムリタ〈下〉 (新潮文庫)

アムリタ〈下〉 (新潮文庫)