ことばの世界

本から自分を知っていく、そんな場所

本ことば094【ブスの「力」】石川香「人の評価をぜんぶ足したら、それが私になるでしょうか?」

【ブスの「力」】石川香

 

人の評価をぜんぶ足したら、それが私になるでしょうか?なりはしないですよね。だから、他人の評価なんて関係ないし、比較することを最初からあきらめる。そんなものは放棄すればいいだけなのです。

 

 

「人の評価=自分の評価」と

思い込んでいたあの頃のわたしに教えてあげたい。

 

(今でも、人の評価に振り回されてしまうことがあるので

日々、自分と向かい合ってはいるのですが)

 

 

人の評価に振り回されて

自分を失ってしまうほど

アホでもったいないことはない。

 

あの人があぁ言ったから。

この人がこう言ったから。

 

では、

あの人とこの人が

正反対のことを言っていたら

一体あなたはどっちを信じるの?

 

 

結局は自分じゃないか。

 

なのに

人の評価を基準にしてたら

自分はどこにもいなくなる。

 

 

わたしが、わたしを評価する。

それだけ。

 

 

このそれだけが

案外難しいんだけどさ。

 

 

小学校時代から

通知表で先生に評価されることに慣れている。

しかも、学校の枠にはめ込んだ評価。

 

枠からはみ出ようものならば

枠に無理に押し込められる。

 

それに慣れてしまったら

自分の判断なんてできなくなるよ。

 

 

親の目を気にして

先生の目を気にして

同級生と比べられて

評価されていく。

 

 

評価する人に基準によって

良いも悪いも変わるのに

それを忘れて

褒められたら喜び

叱られたら悲しむ。

 

 

そろそろ、

他人軸に振り回されるのは

卒業していいんじゃないか。

 

人と比較する必要はない。

 

 

自分で自分を評価する。

昨日の自分と今日の自分を比べる。

 

 

そういう生き方を

わたしはしていたい。

 

 

ブスの「力」 ―銀座の常識を破る逆転の法則

ブスの「力」 ―銀座の常識を破る逆転の法則

 

 

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本ことば093【いのちのエール 初女おかあさんから娘たちへ】田口ランディ「ことばを、ただの記号として使わない」

【いのちのエール 初女おかあさんから娘たちへ】田口ランディ

 

初女さんの、ことばへのこだわりは深い。ことばに、思いをこめている。ただ、ことばを道具のように使うのではなく、ことばを通してことばを超えた実感、フィーリング、雰囲気を伝えようとしている。初女さんのことばを聞いているうちに、少しずつ「ことばを、こえてね」ということが、わかってきた。

ことばを、ただの記号として使わない。ことばは、からだとつながっていて、実感として発せられるものでなければ伝わらない。頭だけでことばをいじくりまわしても、相手には伝わらない。

からだが感じた体験を、伝えるためのもの。

それが、ことば。初女さんは、そのように、ことばを使っている。

 

 

 

「ことばへのこだわり。」

「ことばをこえた、ことば。」

 

 

ことばは記号じゃないんだよね。

ただの文字の羅列ではなくて、

そこに想いが乗っかるから

ことばとして相手に伝わるんだ。

 

 

この「ことば」の後ろには、

あなたのどんな想いが、

どんな定義が隠れさているのか?

 

 

そこが、わかってるか、わかっていないかで

ことばとの付き合い方って変わってくるよね。

 

 

ことばは、共通語であり、

独自語でもあるから。

 

 

同じ、「楽しい」でも

楽しいのニュアンスはみんな微妙に違う。

 

 

同じことばのはずなのに、

違うことばになっていく不思議。

 

 

「アホ」って言われて嬉しい人と

「アホ」って言われて怒る人がいる。

 

 

同じ「アホ」っていうことばなのに

おもしろいよね。

 

 

「アホ」を言う側と受け取る側の

それぞれの想いがあるにしても

 

愛情を込めた「アホ」なのか

ムカムカした「アホ」なのか

 

 

ことばには、

そういった想いがのっかるから

ことばはことばなのに、

ことばだけではないものが伝わっていくんだね。

 

 

 

わたしも「ことばをこえたい」

 

だから、

身のあることばを使っていくんだ。

 

 

 

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本ことば092【活版印刷三日月堂 星たちの栞】ほしおさなえ「ひとつに決めてしまうのが怖かったのかもしれない。」

活版印刷日月堂 星たちの栞】ほしおさなえ

 

でもほんとは、ひとつに決めてしまうのが怖かったのかもしれない。ひとつに決めるということは、他の名前を捨てる、ということだ。ほかの可能性を捨て、ひとつの運命を選び取る。それが怖かった。

 

 

あれも、これも、それもと

気が人よりも多いわたしは

ひとつに決めることが苦手だ。

 

 

この1つだけを

ずっと続けなさいと言われたら

苦痛でしかない。

 

 

同時並行で

おいしいとこ取りをするやり方が好き。

 

 

でも、思った。

 

 

その瞬間に

何をするかは

ひとつにしか絞ることができない。

 

 

わたしのカラダはひとつだから。

 

 

 

次に何かをするには

今やってることを終わらせて

次に進む。

 

 

だから、

ひとつに決めているんだ。

 

 

もちろん、

ひとつに決めたら

ずっと変更不可能のものがある。

 

 

それが、名前。

 

名前すら

変える事もできるんだっけ、確か?

(不確定で言っております)

 

 

 

でも、

結婚だって離婚もあるし、

一度ついた職業を一生続ける制約もないし

 

 

決めた後に

また決めなおすのは

自由なんです。

 

 

 

迷って、

どっちにしよう

どうしようと

右往左往して決められないのは

わたしとしては

もったいないと思いますけど。

 

 

 

 

決めて、やめて、また決める。

 

トライ&エラーの繰り返し。

 

 

やるときは、ひとつ。

 

 

でも、

他のこともやっていい。

 

 

要は

一度決めて動く!

それだけなんだと思ったのであります。

 

 

 

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本ことば091【異性】角田光代・穂村弘「女性にとって「モノはワタシ」なのではないか。」

【異性】 角田光代 穂村弘

 

否、というのが私の結論だ。

男の人にとって「モノはモノ」であるが、

女性にとって「モノはワタシ」なのではないか。

その「モノ=ワタシ」は、アイデンティティとは似て非なる何かのように思う。

この図式の=は、単純にいえば「好き」を示している。

ワタシはこういうものたちが好き、よってワタシはこういう人間なんです、ということだ。

 

 

わかります!

 

女性にとっての、「モノはワタシ」

よくよくよーくわかります!

 

 

ただし、好きなもの限定なのね。

 

 

好きじゃないものは、

「モノはモノ」なの。

 

 

でも、「好き」が入ると

「モノ=ワタシ」に変わるんだ。

 

 

自分の「好き」には、自分が写しだされる。

 

好きなものから、その人がなんとなくわかるように。

 

 

 

わたしが、今好きなモノは何だろう?

 

・お絵かき

・お月さま

・お姫さま

・ふわふわ

・カフェ

・本屋さん

・カラフルなスニーカー

・真っ白いワンピース

RADWIMPS

YUKI

   などなど。

 

 

それぞれの「好き」には自分が入り込んでいく。

 

 

 

もっと言えば、

お気に入りの一着の服。

お気に入りの靴。

お気に入りのピアス。

お気に入りのカバン。

 

これはもう、ただのモノではなくなる。

自分の分身になるんだ。

 

 

だから、簡単には捨てられない。

だって好きなものだから。

 

 

けれど、

急に好みじゃなくなることが

わたしにはある。

 

この前まで、

この服好きだったのに

今はもうトキメキがない。っていう瞬間。

 

 

すると、

今までの思い出はあるものの

簡単にお別れできてしまうわたしは

今の「好き」にすぐに切り替える

軽いオンナなのかもしれない。

 

 

自分が変化するたびに

好きなものが変わるのか

 

それとも

好きなものが変化するたびに

自分も変わっているのか

 

 

とにもかくにも、

好きなモノに関しては

「モノ=ワタシ」は成立していると思うのです。

 

 

 

異性 (河出文庫)

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本ことば090【ふたつめのボールのようなことば】糸井重里「同じようなことを思ったとしても、」

【ふたつめのボールのようなことば】糸井重里

 

同じようなことを思ったとしても、

その同じようなことを、

もういちど、あらためて書いたほうがいい。

 

 

 

 

この【ことば】に触れたから

また、書いてみている

 

 

5年前の日記を読み返しても

今と同じようなことを

書いていて

成長していないようにも

思えるんだけども。

 

 

同じ立ち位置だとしても

深さが少しぐらいは

出てきてるんじゃないか。

と(思いたくなる)。

 

 

 

一日の伸びる髪の長さには

気づかないように、

 

その日に食べたものが

すぐに血や肉にはならないように、

 

現実世界には

時間差があって、

 

変化も

すこしずつ起こっている。

 

 

同じように思えることは

同じ【ように】思えてるだけで

同じではない。

 

 

だから

【ことば】にして書いてみるんだ。

 

 

同じ【ように】思ってたもののなかに

【違うように】感じるものが

潜んでいるから。

 

 

それを発見できるかどうか。

発見しようとするかどうか。

 

 

 

後ね

同じ【ように】感じることは

じぶんの中で

きっと大事なことなんだよ。

 

 

だから

何度も

何度でも

同じ【ように】

じぶんの心の網に

ひっかかるんだ。

 

 

何度でも読み返したい本のように、

何度でも繰り返したい【ことば】が

在るっていうこと。

 

 

 

 

 

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本ことば089【かもめ食堂】群ようこ「ということは奥さんは逆さ?」

かもめ食堂】 群ようこ

 

「父のオムツを換えているとき、テレビでフィンランドのニュースを何度も見たんですよ。『エアーギター選手権』『嫁背負い競争』『サウナ我慢大会』『携帯電話投げ競争』でしたね。いちばんすごかったのは、『嫁背負い競争』です。ふつうに考えると、おんぶすると思うでしょう。それが違うんです。奥さんの両膝を後ろから自分の両肩にひっかけて、ものすごい速さで走るんですよ」

「ということは奥さんは逆さ?」

「そうなんです。もう両腕なんかぶらぶらしちゃって。それを見て、こんなことを一生懸命やる人たちって、いいなあって思ったんです。どこかすこーんと抜けてるっていうか。妙なしがらみなんかが全然なさそうで。人生がとても楽しそうだったんです。で、来ちゃったんですけど・・・」

 

 

くっだらないことを

一生懸命やれる、

100%アホになれるって

才能のひとつ。

 

 

アホになって

全てを楽しめるって

人生を楽しむ才能があるってこと。

 

 

 

人工知能が発達して

ロボットたちができることが増えた時、

人は人工知能に敵わなくなることが

増えていく。

 

 

計算だって

人間の頭で行うより

ロボットが行うほうがはやい。

 

 

知らない言葉を調べるのだって

全ての言葉のデータベースが

入っている知能に

人間は勝てるはずはない。

 

 

人が行っている仕事は

どんどん人工知能が変わりに行っていく。

 

 

 

そうなったときに

人でしかできない事って何か?

と、前に話を聞いたことがある。

 

 

それは

「アホになれること」

 

なんですって。

 

 

 

人工知能

過去のデータベースをもとに考える。

 

 

でも、

「アホ」って

過去から考えたら

 

「それ、絶対できないよ!」

と思うことを

思いついちゃったりするでしょ?

 

 

それが

人間の才能。

 

 

くだらないことを

楽しめるのも

「アホ」になれるからこそ。

 

 

 

なんだか

「アホ」って

素晴らしいことに

思えてくる。

 

 

 

「アホ」を楽しもう♪

 

人間の人間たる

とびっきりの才能だから。

  

 

かもめ食堂 (幻冬舎文庫)

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DVDもいいよね。

BGM的に流していたくなる。 

かもめ食堂 [DVD]

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読書記録51【ひとつの鍋から幸せひろがる 野菜たっぷり重ね煮レシピ】船越康弘/船越かおり

【ひとつの鍋から幸せひろがる 野菜たっぷり重ね煮レシピ】船越康弘/船越かおり

 

ひとつの鍋から幸せひろがる 野菜たっぷり重ね煮レシピ

ひとつの鍋から幸せひろがる 野菜たっぷり重ね煮レシピ

 

 

重ね煮を知ったのは

4,5年前の

自然治癒力学校の講座で

船越康弘さんがいらっしゃったとき。

 

食べ物のパワーを

こんなに生かしていけるんだ!

と、食べ物も生き物のひとつだと、

そんなことを思った気がする。

 

 

 

重ね煮でつくった料理は

やさしさが口いっぱいに広がって

とっても美味しいの。

 

味付けがいらなくて

野菜の味をそのままに。

 

 

あれ?

この野菜って

こんなおいしかったんだっけ?

と、思えちゃうの。

 

 

 

野菜の切り方、

それ以前の切る姿勢

などものっているから

料理に対する姿勢が

少し変わるかもしれない。

 

 

 

私は、

重ね煮をして

閉めていた鍋の蓋をあけ

野菜たちの香りを嗅ぐ瞬間が

好きだな。

 

 

 

心をこめてつくる料理。

を教えてくれる一冊です^^

 

 

 

 

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