ことばの世界

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読書記録66【吹部ノート】オザワ部長

【吹部ノート】オザワ部長

吹部ノート

吹部ノート

 

 

 

 

吹奏楽部だった思い出がヒットして

手に取った本。

 

 

部活ノート。

中学校の時は書いてたな。

 

 

 

大会の反省・感想や

日々の練習のこと。

 

 

中学校の部活は厳しかった。

 

厳しさの中に「愛」があったことを

今なら少しだけ理解できるけど

当時は苦しくてたまらなかった。

 

 

なのに、

辞めなかったのはなぜだろう?

 

 

わからないながらも

わかってたんだ、顧問の「愛」が。

 

 

 

中学3年の時に

ドラムメジャーになった。

 

うちの中学で

マーチングもやっていて

ドラムメジャーというのは

バトンをもって、

マーチングの指揮者の役割。

 

 

自分から立候補したわけでもなく

やりたいとも思ってなかった。

 

 

というよりも

やりたくなかった。

 

 

部長、副部長、ドラムメジャーと

同学年の話し合いで決まる。

 

 

先に

部長、副部長が決まっていて

ドラムメジャーの話し合いは

その後だった。

 

 

部長、副部長にならなかった私は

なれなくてよかった~と

安心してた。

 

 

生徒会の役員をしていたことも理由に

部活においての重役からは

思いっきり逃げていたから。

 

 

 

そして

ドラムメジャーの話し合い。

 

 

 

候補に

私の名前をあげれくれる人がいる。

 

 

認めてもらってることは

とてもありがたいこと。

 

 

 

でも、

わたしはやりたくなかった。

できないと思ってた。

 

 

ドラムメジャーは

背が高く凛としてる人がやったほうが

見た目もいい。と思ってた。

 

 

わたしは150cmしかない。

身長がドラムメジャーに向いてない。

 

 

断った。

できないといった。

 

 

 

 

その話し合いが終わり

話し合いについて

部活ノートを書いた。

提出した。

 

 

 

書いた内容は覚えてない。

 

 

たぶん、

 

『みんなが推薦してくれたことは嬉しい。

でも、わたしにはできない。』

 

などと

書いていたのだと思う。

 

 

 

ただひとつ、

覚えているのは

 

部活ノートが返ってきたとき

顧問の先生の汚い字で

 

「みんなの期待にこたえろ」

 

と、書いてあったことは確か。

 

 

 

そのコメントで

ドラムメジャーを引き受けることを決めたんだから。

 

 

 

部活ノートは

わたしにとっても大事な思い出。

 

 

 

全然、

本のことばからはソレてしまったけど。

 

 

 

わたしは

どんなドラムメジャーをしていたんだろう?

 

 

思いっきりのリーダーではなかったから

引っ張るタイプではなかったと思う。

 

みんなの意見をすくい上げながら

やっていくのを好んでたかな?

 

 

中学生なんて

もう15年も前の話。

 

 

記憶も曖昧になるものですね。

 

 

 

でも、

あの頃の部活ノートは

部活をつづけたことは

わたしの人生において

大きな自信となっています。

 

 

 

 

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