ことばの世界

本から自分を知っていく、そんな場所

本ことば019【うつくしい人】西加奈子「私は誰かの美しい人だ。私が誰かを、美しいと思っている限り。」

【うつくしい人】西加奈子

 

「まきさんも、とても美しい人なのです」

泣かないぞ、と決めて、私は手を振った。ぶう、とバスが通る音がした。

私は誰かの美しい人だ。私が誰かを、美しいと思っている限り。

 

 

 

世界のすべてが

美しく見えるときがある。

 

 

残念ながら

それは、わたしにとっては

24時間すべてではないけれど。

 

 

心が穏やかで

この地球で生きていることが

有り難くてたまらないとき

世界のすべてが

美しく見えて、

ひとつ、ひとつ目にうつるものに

感動をしてしまうんだ。

 

 

 

世界は

自分の心の鏡だ。

 

 

 

だから、

誰かを美しいと思う

わたしの心は美しい。

 

 

 

そんなわたしを

誰かが美しいと思ってくれる。

 

 

 

これも

世界が自分の心を

うつしだしている結果だ。

 

 

 

美しさは

飾りをつけて煌びやかになることではなく

 

ただの素の生きている美しさだと

わたしは思っている。

 

 

自分の命を

一生懸命に生きている姿こそが

美しいと。

 

 

 

 

悩んでもいい。

迷ってもいい。

弱音をはいてもいい。

 

 

でも、

自分が美しさをもっていることは

忘れてはいけない。

 

 

 

自分の美しさを

輝かせることができる人は

自分しかいないのだから。

 

 

 

 

うつくしい人 (幻冬舎文庫)

うつくしい人 (幻冬舎文庫)

 

 

本ことば018【ラリルレ論】野田洋次郎「不確かなものにつける理由なんて大体いくらでも出てくる」

【ラリルレ論】野田洋次郎

 

不確かなものにつける理由なんて大体いくらでも出てくる。

心配性だから、とか。まじめだから、とか。

基本『今』をいつもどこかで『過去』として認識してるからか、とも思った。

あと、なにより記憶で人は生きてると思ってる。

もっと言えば記憶が人を生かしてる、か。意識的であれ、無意識であれ。

大げさな、と思う人がいるかもしれないけどそんなことはない。

記憶がなければ永遠に赤ちゃんだ。

今日もおぎゃー。明日もおぎゃー。

 

 

人って、

何かと「理由」をつけたがる

生き物なのだと思う。

 

自分がした行動に

「意味」を求める。

「説明」したがる。

 

脳で納得したいのだ。

 

脳で考えることは

記憶が頼り。

 

今までの

行動パターンや傾向から

記憶をひきだして

考えるのだろう。

 

 

記憶が

人をつくっている。

 

 

過去にしたことと

今を照らし合わせて

考えてしまう。

 

するとさ

どうしても、

過去との比較になるんだよね。

 

 

過去をこえることが

なんだか難しくなる。

 

 

失敗したあの時と

パターンが似ているから

やめておこう。

 

とかって

過去と今は違うのに

過去の記憶に

ひっぱられてしまったら

もったいないよね。

 

 

 

と、

自分に言い聞かせてます。

 

 

 

どうしてもさ

「理由」がほしくなるのよ。

 

 

無意味に選んだことでも

後付で「理由」をつけたくなるの。

 

 

意味の無いという

空いた部分を

埋めたくなるのです。

 

 

ああ、

記憶は記憶で

自分を形成しているものとして

尊重したい。

 

 

だけど

記憶だけで

生きていきたくはない。

 

 

毎日

自分を更新したい。

 

 

 

意味のない

その部分こそ

空白のままにしておける余裕を

もちたいものです。

 

 

 

 

 

 

ラリルレ論

ラリルレ論

 

 

「へ」の詩【はひふへ へへへ】

ははは。

ひひひ。

ふふふ。

へへへ。

ほほほ。

 

は行のみんなは

それぞれの笑い方をする。

 

 

おいら【へ】は

一番のへそ曲がりの

への字の口で

「へへへ」と笑う。

 

 

【は】は言ってたな。

「あたいは、歯が見えるくらいに

 ははは。と口を大きくあけて

 笑うんだ」って。

 

 

「ははは」と笑うと、

なんだか、たのしくないことも

たのしくなっちゃうから

不思議だ。

 

でも、

おいらは「へへへ」と笑うのが

お気に入り。

 

 

 

【ひ】は言ってたな。

「僕は口角の片方が上がるように

 ひひひ。とニヒル

 笑うんだ。」って。

 

「ひひひ」と笑うと、

なんだか、何もないことも

企んでるようにみえるから

不思議だ。

 

でも、

おいらは「へへへ」と笑うのが

お気に入り。

 

 

 

 

【ふ】は言ってたな。

「うちは、唇に厚みをもたせて

 空気の音で

 笑うんだ。」って。

 

「ふふふ」と笑うと、

なんだか、見えなかった

空気の輪郭に触れるようで

不思議だ。

 

でも、

おいらは「へへへ」と笑うのが

お気に入り。

 

 

 

 

【ほ】は言ってたな。

「わたくしは、おしとやかに

 マダムのように美しく

 笑うんだ。」って。

 

 

「ほほほ」と笑うと、

なんだか、自分が貴婦人にでも

なってしまったかのようで

不思議だ。

 

でも、

おいらは「へへへ」と笑うのが

お気に入り。

 

 

 

「へへへへへ」

 

ちょっと照れたときも

「へへへ」と笑う。

 

えっへんと威張りたいときも

「へへへ」と笑う。

 

何かいたづらを思いついたときも

「へへへ」と笑う。

 

 

やっぱり、おいらは【へ】なんだな。

へへへ。

本ことば017【もしも私が、そこにいるならば】片山恭一「わたしという人間が弱すぎたんだ」

【もしも私が、そこにいるならば】片山恭一

 

「母のせいですね」

しばらく間を置いて内藤は口を開いた。

「当時はそう考えたが、結局は自分の人生だ。誰かのせいにできることなんてありはしない。うまくいかないのは自分のせい。わたしという人間が弱すぎたんだ」

「でも母があなたを傷つけたのでしょう」

「誰もわたしを傷つけなかったよ」彼は遠い目をしていった。「お母さんはお母さんで自分の人生を生きようとしただけだ。ただわたしの方はどうしても忘れることができなかった」

 

 

傷つくことを選んだのも自分。

人のせいにするのも自分。

 

結局は、自分自身に戻ってくる。

 

 

自分が傷ついてことを

認められる人は

弱いのではなく

弱さを強さにかえることのできる人。

 

 

 

わたしは

弱さを強さにかえられているのだろうか?

 

 

弱さをひたすらに

隠そうとはしていないだろうか?

 

 

ひたすらに。とまではいかなくても

全面に出そうとは、思えない。

 

 

弱さが

あたらしい弱さを

呼んでくることがこわい。

 

 

いくらでも

弱い自分と出会うことができそうな

そよ風にでも倒されそうな自分。

 

 

そもそも、

弱さとは

なんなのだろう?

 

 

弱いことが

いけないことだと

誰がきめたのだろう?

 

 

 

「弱音を吐いちゃいけない。」

「弱みを見せちゃいけない。」

 

疑うこともなく

信じていたルール。

 

 

果たして

本当なのだろうか?

 

 

 

弱音を吐くからこそ、

自分が何をおそれ

どれだけヘタレなのかを

知ることができる。

 

虚勢をはらなくていいから

等身大の姿でいることができる。

 

 

 

弱みをみせるからこそ

その弱みをカバーしてくれる人が

登場してくれる。

 

弱みをみせた相手は

きっと、人生の味方になってくれる。

 

 

敵には弱みを見せてはいけない。

弱みを責められるから。

 

いやいや、

敵がいる前提の世界は

もういらないよ。

 

 

 

それよりも

情けないところも見せて

しょうがないなあ~と

笑い飛ばしてくれる仲間が欲しいから。

 

もしも私が、そこにいるならば (小学館文庫)

もしも私が、そこにいるならば (小学館文庫)

 

 

読書記録1【EARTH GYPSY】あーす・じぷしー

 【EARTH GYPSY】あーす・じぷしー

 

わたしは、

わたしの人生という物語の主人公を

生きているって、

どんなことかを教えてくれる本。

 

EARTH GYPSY(あーす・じぷしー)-はじまりの物語-

EARTH GYPSY(あーす・じぷしー)-はじまりの物語-

 

 

 ここの記事でも触れましたが、

 EARTH GYPSY」は、わたしのバイブル本です。

kotoba-no-sekai.hatenablog.com

 

 

と書きつつ、

「バイブル」の意味がわからなくて

(いつも、雰囲気でつかってた。。。)

調べました。

 

【bible】

  1. 聖書
  2. 転じて、それぞれの分野で最重要とされている文献。
  3. 個人が常に指針を求めて読み返す一冊の本。座右の書。

   はてなキーワードより

 

そうそう!

指針を求めて、読み返す一冊の本です。

 

 

自分を信じることを

思い出したいときに

読み返している気がします。

 

 

今、進んでいる道は

未知なる道だけど

それで大丈夫だよ。と

本が語りかけてくれる。

 

 

 

人生は

頭で考えてわかることだけが

続いていくわけはなくて、

 

予想もできないことが

いっぱいやってくる。

 

 

ぜんぶ、ギフト。

 

 

 

どれだけ、

自分の感覚を信じて

進んでいけるか。の実験して

その結果をたのしんでるんだ。

 

 

 

 

そして、

世界はね

自分が生きてる世界はね

「自分が見ている世界」でしかないって

教えてくれた。

 

 

 

どれだけ

大好きな人と

自分の世界を分かち合いたいと思っても、

わたしの見ている世界と

大好きな人の見ている世界は

一緒ではない。

 

 

わたしの見ている世界は

わたしの感覚を通して

感じて、映しだされているから。

 

 

 

一緒じゃないからこそ、

伝えて、分かり合いたいと

思えることが

よろこびであり、

さみしさでもあるのかもしれない。

 

 

 

それが

人間として

地球を生きることなのかもしれない。

 

 

 

わたしが見てる世界は

わたしにしかわからない。

 

だから、

誰に何を言われようが、

自分の感覚がわかるのは

自分しかいないということ。

 

 

 

わたしは、

わたしを信じて生きていくのです。

 

 

その指針となる本です。

 

 

 

 

「ほ」の詩【ほっとするから、ほっといて】

ほっとかれると

ほっとする。

 

わたしの

ひとりのじかんを

のほほんと

すごしていて

いいんだって。

 

 

 

ほっとかれると

ほっとする。

 

ちかくにいなくても

はなれていても

だいじょうぶだ。って

ほしょうをされた

きぶんになるから。

 

 

 

 

ほっとかれると

ほっとする。

 

ほらあなのなかに

ひとりでいたいときだって

だれにでもあるでしょ?

 

 

 

ほっとかれたくないときは

ほほをあかく

そめながら

「そばにいてほしい」って

いうからね。

 

ほんねを

いうからね。

 

 

そのときは

ほっとかないで

そっととなりにいて

ほっとさせてね。

本ことば016【ふたつめのボールのようなことば】糸井重里「こころの面倒を、引き受けないと、いけないんだ。」

【ふたつめのボールのようなことば】糸井重里

 

 

こころなんてものがあるから、めんどくさい。

みんなが、それで苦しんでじたばたしているのだが、

どこかにすかっとしたくても、割り切っちゃだめだ。

こころの面倒を、引き受けないと、いけないんだ。

 

 

人間である

わたしたちは

「こころ」を手に入れた。

 

 

こころがなければ

何も悲しいこともないし

何も切ないこともない。

 

苦しくて苦しくて

辛いこともなくなるだろう。

 

 

感じる「こころ」が

ないんだから。

 

 

 

その悲しみも

その切なさも

感じることができるのが

人間としての醍醐味。

 

 

こころがあって

あたまもあって。

 

 

感じて

考えて。

 

 

こころが

揺れうごきながら

生きていく。

 

 

 

 

笑い転げたくなるくらいの

楽しさも

 

スキップしたくなるくらいの

嬉しさも

 

感じることができるのは

こころがあるからだものね。

 

 

 

面倒なやつほど

可愛かったりするものです。

 

 

こころも

可愛いやつなんだと

思うんです。

 

 

一生、つきあっていく

わたしのこころだもんね。