ことばの世界

本から自分を知っていく、そんな場所

「へ」の詩【はひふへ へへへ】

ははは。

ひひひ。

ふふふ。

へへへ。

ほほほ。

 

は行のみんなは

それぞれの笑い方をする。

 

 

おいら【へ】は

一番のへそ曲がりの

への字の口で

「へへへ」と笑う。

 

 

【は】は言ってたな。

「あたいは、歯が見えるくらいに

 ははは。と口を大きくあけて

 笑うんだ」って。

 

 

「ははは」と笑うと、

なんだか、たのしくないことも

たのしくなっちゃうから

不思議だ。

 

でも、

おいらは「へへへ」と笑うのが

お気に入り。

 

 

 

【ひ】は言ってたな。

「僕は口角の片方が上がるように

 ひひひ。とニヒル

 笑うんだ。」って。

 

「ひひひ」と笑うと、

なんだか、何もないことも

企んでるようにみえるから

不思議だ。

 

でも、

おいらは「へへへ」と笑うのが

お気に入り。

 

 

 

 

【ふ】は言ってたな。

「うちは、唇に厚みをもたせて

 空気の音で

 笑うんだ。」って。

 

「ふふふ」と笑うと、

なんだか、見えなかった

空気の輪郭に触れるようで

不思議だ。

 

でも、

おいらは「へへへ」と笑うのが

お気に入り。

 

 

 

 

【ほ】は言ってたな。

「わたくしは、おしとやかに

 マダムのように美しく

 笑うんだ。」って。

 

 

「ほほほ」と笑うと、

なんだか、自分が貴婦人にでも

なってしまったかのようで

不思議だ。

 

でも、

おいらは「へへへ」と笑うのが

お気に入り。

 

 

 

「へへへへへ」

 

ちょっと照れたときも

「へへへ」と笑う。

 

えっへんと威張りたいときも

「へへへ」と笑う。

 

何かいたづらを思いついたときも

「へへへ」と笑う。

 

 

やっぱり、おいらは【へ】なんだな。

へへへ。

本ことば017【もしも私が、そこにいるならば】片山恭一「わたしという人間が弱すぎたんだ」

【もしも私が、そこにいるならば】片山恭一

 

「母のせいですね」

しばらく間を置いて内藤は口を開いた。

「当時はそう考えたが、結局は自分の人生だ。誰かのせいにできることなんてありはしない。うまくいかないのは自分のせい。わたしという人間が弱すぎたんだ」

「でも母があなたを傷つけたのでしょう」

「誰もわたしを傷つけなかったよ」彼は遠い目をしていった。「お母さんはお母さんで自分の人生を生きようとしただけだ。ただわたしの方はどうしても忘れることができなかった」

 

 

傷つくことを選んだのも自分。

人のせいにするのも自分。

 

結局は、自分自身に戻ってくる。

 

 

自分が傷ついてことを

認められる人は

弱いのではなく

弱さを強さにかえることのできる人。

 

 

 

わたしは

弱さを強さにかえられているのだろうか?

 

 

弱さをひたすらに

隠そうとはしていないだろうか?

 

 

ひたすらに。とまではいかなくても

全面に出そうとは、思えない。

 

 

弱さが

あたらしい弱さを

呼んでくることがこわい。

 

 

いくらでも

弱い自分と出会うことができそうな

そよ風にでも倒されそうな自分。

 

 

そもそも、

弱さとは

なんなのだろう?

 

 

弱いことが

いけないことだと

誰がきめたのだろう?

 

 

 

「弱音を吐いちゃいけない。」

「弱みを見せちゃいけない。」

 

疑うこともなく

信じていたルール。

 

 

果たして

本当なのだろうか?

 

 

 

弱音を吐くからこそ、

自分が何をおそれ

どれだけヘタレなのかを

知ることができる。

 

虚勢をはらなくていいから

等身大の姿でいることができる。

 

 

 

弱みをみせるからこそ

その弱みをカバーしてくれる人が

登場してくれる。

 

弱みをみせた相手は

きっと、人生の味方になってくれる。

 

 

敵には弱みを見せてはいけない。

弱みを責められるから。

 

いやいや、

敵がいる前提の世界は

もういらないよ。

 

 

 

それよりも

情けないところも見せて

しょうがないなあ~と

笑い飛ばしてくれる仲間が欲しいから。

 

もしも私が、そこにいるならば (小学館文庫)

もしも私が、そこにいるならば (小学館文庫)

 

 

読書記録1【EARTH GYPSY】あーす・じぷしー

 【EARTH GYPSY】あーす・じぷしー

 

わたしは、

わたしの人生という物語の主人公を

生きているって、

どんなことかを教えてくれる本。

 

EARTH GYPSY(あーす・じぷしー)-はじまりの物語-

EARTH GYPSY(あーす・じぷしー)-はじまりの物語-

 

 

 ここの記事でも触れましたが、

 EARTH GYPSY」は、わたしのバイブル本です。

kotoba-no-sekai.hatenablog.com

 

 

と書きつつ、

「バイブル」の意味がわからなくて

(いつも、雰囲気でつかってた。。。)

調べました。

 

【bible】

  1. 聖書
  2. 転じて、それぞれの分野で最重要とされている文献。
  3. 個人が常に指針を求めて読み返す一冊の本。座右の書。

   はてなキーワードより

 

そうそう!

指針を求めて、読み返す一冊の本です。

 

 

自分を信じることを

思い出したいときに

読み返している気がします。

 

 

今、進んでいる道は

未知なる道だけど

それで大丈夫だよ。と

本が語りかけてくれる。

 

 

 

人生は

頭で考えてわかることだけが

続いていくわけはなくて、

 

予想もできないことが

いっぱいやってくる。

 

 

ぜんぶ、ギフト。

 

 

 

どれだけ、

自分の感覚を信じて

進んでいけるか。の実験して

その結果をたのしんでるんだ。

 

 

 

 

そして、

世界はね

自分が生きてる世界はね

「自分が見ている世界」でしかないって

教えてくれた。

 

 

 

どれだけ

大好きな人と

自分の世界を分かち合いたいと思っても、

わたしの見ている世界と

大好きな人の見ている世界は

一緒ではない。

 

 

わたしの見ている世界は

わたしの感覚を通して

感じて、映しだされているから。

 

 

 

一緒じゃないからこそ、

伝えて、分かり合いたいと

思えることが

よろこびであり、

さみしさでもあるのかもしれない。

 

 

 

それが

人間として

地球を生きることなのかもしれない。

 

 

 

わたしが見てる世界は

わたしにしかわからない。

 

だから、

誰に何を言われようが、

自分の感覚がわかるのは

自分しかいないということ。

 

 

 

わたしは、

わたしを信じて生きていくのです。

 

 

その指針となる本です。

 

 

 

 

「ほ」の詩【ほっとするから、ほっといて】

ほっとかれると

ほっとする。

 

わたしの

ひとりのじかんを

のほほんと

すごしていて

いいんだって。

 

 

 

ほっとかれると

ほっとする。

 

ちかくにいなくても

はなれていても

だいじょうぶだ。って

ほしょうをされた

きぶんになるから。

 

 

 

 

ほっとかれると

ほっとする。

 

ほらあなのなかに

ひとりでいたいときだって

だれにでもあるでしょ?

 

 

 

ほっとかれたくないときは

ほほをあかく

そめながら

「そばにいてほしい」って

いうからね。

 

ほんねを

いうからね。

 

 

そのときは

ほっとかないで

そっととなりにいて

ほっとさせてね。

本ことば016【ふたつめのボールのようなことば】糸井重里「こころの面倒を、引き受けないと、いけないんだ。」

【ふたつめのボールのようなことば】糸井重里

 

 

こころなんてものがあるから、めんどくさい。

みんなが、それで苦しんでじたばたしているのだが、

どこかにすかっとしたくても、割り切っちゃだめだ。

こころの面倒を、引き受けないと、いけないんだ。

 

 

人間である

わたしたちは

「こころ」を手に入れた。

 

 

こころがなければ

何も悲しいこともないし

何も切ないこともない。

 

苦しくて苦しくて

辛いこともなくなるだろう。

 

 

感じる「こころ」が

ないんだから。

 

 

 

その悲しみも

その切なさも

感じることができるのが

人間としての醍醐味。

 

 

こころがあって

あたまもあって。

 

 

感じて

考えて。

 

 

こころが

揺れうごきながら

生きていく。

 

 

 

 

笑い転げたくなるくらいの

楽しさも

 

スキップしたくなるくらいの

嬉しさも

 

感じることができるのは

こころがあるからだものね。

 

 

 

面倒なやつほど

可愛かったりするものです。

 

 

こころも

可愛いやつなんだと

思うんです。

 

 

一生、つきあっていく

わたしのこころだもんね。

 

 

 

 

 

7/24 今日買った本たち

本屋さんに行くと

どうしてこんなにも

本が飛び込んでくるのでしょうか。

 

 

ただ、

ノートを買いにいっただけなのに。

 

ノートを買うついでに

(この「ついで」が曲者なんだけど)

本のコーナーを歩いたら。

 

 

案の定。

買ってしまいますよね。笑

 

 

じゃーーーーん!!!

 

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やっちまいました。

 

本、はやく読みたい。

そして、読んだら、

感想も一冊ずつに書いていきたい。

読書記録をつくりたい。。。

 

お、追いつかない(ノД`)・゜・。

 

 

 

虫眼とアニ眼 (新潮文庫)

虫眼とアニ眼 (新潮文庫)

 

 お二人の対談が

どんな風に展開されるのか、

それぞれの視点も知りたくて

中身も見ずに買いました。

 

 

 

奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)

奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)

 

 脳の仕組みの本は

いくつか読んでいて。

この本は

脳科学者である「わたし」の脳が

壊れてしまった。

 

脳の機能は著しく損傷し

言語中枢や運動感覚にも

大きな影響が・・・

その「わたし」の目線の

脳の障害があるものを

知りたくて買いました。

 

仕事がら

理学療法士もしていて

脳卒中の方のリハビリも行うので

患者さん側から見た世界をね

知りたいの。

 

言語中枢が壊れると

言葉の理解や

言葉の表出が難しくなるから。

それを、どんなふうに感じて

どう表現してるのか

めっちゃ気になるー!!!のです。

 

 

 

 

 

 「できる人の語彙力が身につく本」

(なぜか、リンクがはれない・・・)

 

よくある語彙力の本でしょ~

と、思ったんだけど。

 

パラパラと見たときに

タカ派」と「ハト派」のことが

書いてあって。

 

前に、

勉強会で

過去のアメリカの大統領を

タカ派」「ハト派」で説明してもらったときに

 

『へ~~、鳥で例えるんだ』

と、思い込んでたわたし!!!

 

それぞれに、

意味があるんだってば!!!

と、

あの時を思い出し、

知らないで理解したつもりになって自分が

急に恥ずかしくなって。

 

誰にも指摘されてないのに

本気で顔から火が出るかと思った。

 

語彙力、下さい。

と、降伏して、買いました。

学びます、精進します。

 

 

 

もし「右」や「左」がなかったら―言語人類学への招待 (ドルフィン・ブックス)

もし「右」や「左」がなかったら―言語人類学への招待 (ドルフィン・ブックス)

 

 言葉と文化って

密接な関係がありますよね。

 

そのあたりを知りたくて

GETしました、お勉強本。

 

 

 

潤うからだ (美人開花シリーズ)

潤うからだ (美人開花シリーズ)

 

 女性だからこそ

知っておきたい、からだの話。

 

膣とかさ、

自分の身体の一部なのに

なぜか、見ちゃいけないもののように

あつかっていないかな?って。

 

 

そうそう。

前には

 

ちつのトリセツ 劣化はとまる

ちつのトリセツ 劣化はとまる

 

 ↑

この本も読みました。

 

女性はね

自分を知るには

自分の膣を見て、触ることは

必須事項だと、わたしは思います。

 

膣が潤ってる女性は

からだもココロも潤ってるはず。

と、思ってるので

その情報収集です。

 

 

 

最後は雑誌。 

天然生活 2017年 09 月号 [雑誌]

天然生活 2017年 09 月号 [雑誌]

 

 

また、本関連の雑誌です。笑

どれだけ好きなんだよ。っていうね。

 

 

夢は、

雑誌に紹介されてる本を

全部集めて、

雑誌ごとの本棚をつくって

ブックカフェをひらくことでございます。

 

 

 

本のことを書いていくと

どんどん愛着が増しますね^^

 

 

 

 

 

 

 

本ことば015【いのちのエール 初女おかあさんから娘たちへ】田口ランディ「感謝するために感謝していなかったかしら。」

【いのちのエール 初女おかあさんから娘たちへ】田口ランディ

 

 

プレゼントをもらった瞬間から「感謝しなければいけない」という気持ちに気が急いていて、感謝するために感謝していなかったかしら。

初女さんに、おむすびをむすんでいただいたときも「ありがとうございます」と、元気にお礼を言うけれど、あの「ありがとうございます」が、どれくらいわたしの心を合致したことばだったかしら。

「ありがとう」と言うべき場面だから、「ありがとう」と言う。

感謝の気持ちがわく前に「よーし、次はありがとうだぞ」と、もう頭のほうが準備している。それが、わたしだったのではないかしら。

 

 

 

 

「ありがとう」は良い言葉。

「ありがとう」を言うと、いいことあるよ。とか

なんやらかんやら、聞くし

 

水の結晶や、みかんの腐り方の実験で

「ありがとう」の言葉、

「ばか」の言葉と

無視した時の

結晶のカタチや腐り方の違いの実験は知っている。

 

 

やっぱり、ありがとうの圧勝だった。

 

 

でも、

ただ「ありがとう」って言えばいいの?

 

 

わたしは愛と感謝で生きるって決めてるし

そうしたら自然と「ありがとう」が増えてくる。

 

 

「ありがとう」が悪いとは思わない。

 

 

ただ、

『とりあえず、「ありがとう」って言えばいいや」

みたいな気持ちがある時があることに

気付かせてもらったんだ。

 

 

感謝しなければいけないから

「ありがとう」と言う。

 

 

感謝してるから言う

「ありがとう」とは

同じ言葉だけど

意味合いが全然違う。

 

 

感謝って

しなくちゃいけないからと

無理矢理するものじゃない。

 

自然と湧き出てくるもの。

 

 

自然と出てくるから、

その感謝の気持ちと乗っかって

出てくる言葉が「ありがとう」なんだ。

 

 

あちゃー、

わたし『とりあえずのありがとう』が

意外と多かったな。

 

振り返りたくない。笑

 

 

でも、自分を見つめるために

振り返ってみるよ。

 

 

・親が駅まで車で送ってくれた時のありがとう

→送ってくれることが当然になってて、

 感謝が湧いてるわけじゃないのに言ってるな

 

・気に入らないプレゼントをもらった時のありがとう

→なにかもらった時は、まずは「ありがとう」

 「これ、いらない」っていうよりは失礼じゃないけど

 自分がとりあえず言ってるんだ。っていうことは

 自覚しておいた方がいいと思うんだ。

 

・職場で、「○○やっといたよ。」と言われた時のありがとう 

→別にそんなに「ありがとう」って思ってない。

 余計なお世話だー!と思いながら

 円滑に進めるために「ありがとう」を言っている。

 

 

こうやって出してみて

なんか無自覚に言葉を出してるな。と

ちょっとだけ反省した。

 

 

だからといって、

わたしの「ありがとう」がすべて

とりあえずから生まれたわけじゃない。

 

 

心からのありがとうは

いっぱいあるんだ。

 

 

感謝の気持ちとともに

「ありがとう」を伝える人でありたいものですね。