ことばの世界

本から自分を知っていく、そんな場所

読書記録78【キラキラ共和国】小川糸

【キラキラ共和国】小川糸

 

 

 

以前に読んだ

ツバキ文具店の続編。

 

 

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家族になる。

 

家族って

近い存在の別の人間。

 

一緒に暮らすことは

離れていたときよりも

近くなったことで

見えてしまうことも山ほどある。

 

 

他人なら

気にならないことも

家族だと気になる。

 

 

家族って

自分を成長させてくれる

気づきを与えてくれる

愛おしい存在だよね。

 

 

これからも

ずっと一緒に過ごす未来が

見えているからこそ。

 

 

見逃さないで

伝えていくことがある。

 

 

相手との

考え方のズレを

どうすり合わせていくのか。

 

 

どちらかが我慢するのではなくて。

互いのことを尊重しつつ。

 

 

尊重するってことは、

その時の自分の気持ちを

素直に伝えていないと

できないんだとも思った。

 

 

 

わたしは

つい旦那さんに

「これくらいわかってよ」

と、察してくれることを

求めてしまうクセがある。

 

気づいては直し。

また気づいては直し。

を、繰り返す。

 

 

 

鳩子が

ミツローさんに

あえて手紙を書いて

切手を貼って

ポストに入れて

気持ちを伝えたところ。

 

 

別々の家に住んでたからこその

技なのかもしれんけど。

 

 

相手を目の前に

うまく言葉がでてこなくて

どうしようもなくて。

だったら、

一呼吸おいてから

手紙を書くのもいいな。とね。

 

 

大事な相手だからこそ

諦めたくないし

わかりあいたい。

 

 

家族になるって

戸籍ひとつでできるけど

関係性を育んでいくからこそ

絆も生まれていくんだよね。

 

 

鳩子とミツローさんとQPちゃん。

そして、美雪さんもいれての

4人家族。

 

 

なんか、いいなぁ~

好きだな~

と、思わずにはいられないのです。

 

 

 

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読書記録77【しずかな魔女】市川朔久子

【しずかな魔女】市川朔久子

 

 

〈しずかな子は、魔女にむいてる〉

 

誰かが言ってくれた言葉が

ずっと心に残って

自分の糧になることがある。

 

それは

ちょっと甘い薬のようで。

 

言葉にこめられた想いが

カラダの中にじわーっと広がっていく。

 

 

 

しずかでもいいんだ。

おしゃべりが上手じゃなくてもいいんだ。

 

 

自分のコンプレックスを

違うとらえ方に変えてくれる。

 

 

思ったことを

すぐに言葉にできない。

 

黙っている時間が多くなる。

 

沈黙ばかりで

わたしといて楽しいのかな?

 

 

 

わたしも

そんなことを思ってた。

 

 

自分が話し出そうとしたら

すでに誰かが話してて

割って入るまでもないし。って

ニコニコして話を聴くだけ。

 

いざ

自分が話すとなると

おもしろいことなんて

ひとつも言えなくて。

 

だったら

話さないでいたほうが

みんなも楽しいんじゃないな。って

余計に聞き役になる。

 

 

そんな繰り返ししてたなぁ。。。

 

 

 

上手に話せることが

すべてじゃない。

 

 

話していない間に

五感を研ぎ澄ませて

いろいろ見てるんだよね。

 

 

きっとさ、

取り入れている情報が多すぎて

言葉にするのが

難しいだけだったのかもしれない。

 

 

自分にピタッとはまる言葉を

一生懸命に探していたのかもしれない。

 

 

 

しずかに

しずかに

自分を見つめる。

 

 

 

そういう子

わたしは好きだな。

 

 

地味に見えるかもしれないけど

芯をもってて強い子。

 

 

わたしも

そんな子でありたい。

読書記録076【アレグロ・ラガッツァ】あさのあつこ

アレグロ・ラガッツァ】あさのあつこ

 

 

 

中学・高校と
吹奏楽部に所属していたからか。

 

吹奏楽がテーマの本を見つけると
ついつい読みたくなってしまう。

 

図書館で見つけたこちらの本。

 

わたしは、
なにが楽しくて
吹奏楽をやってたんだろう?って
考えちゃった。

 

そして、
どこまで本気で
やっていたんだろうか?とも。

 

小学校3年生から
地元のウィンドアンサンブルで
クラリネットをやりはじめて。

 

中学校にあがったときは
なんの迷いもなく
吹奏楽部に入った。

 

人よりも
はやく初めていたから
当たり前だけど
他の新入部員と比べて吹ける。

 

それが、
誇らしくもあった。

 

小学校3年生のときに
たまたま、クラリネットをおススメされた。

 

その時は
「君の歯並びはクラリネットに向いてるね」
と言われて、
自分に合ったものを選んでもらったのがうれしくて
そのままクラリネットにした。
(それまで、クラリネットがどんな楽器かなんて、知る由もなかった)

 

 

今思うと、
クラリネットをやってる人たちが
中学生ばかりでもうすぐ卒業メンバー。

 

新しい子がいたほうがいいから
クラリネットを進められたんじゃないの?と
思ってしまう卑屈なわたしでもあるけど。

 

 

でも、
そこからはまってった。

吹けるようになることは
おもしろかった。

 

途中で、
クラリネットは向いてないみたいだから
他の楽器にしたら?と
アドバイスされたとしたら。。。

 

わたしは、
他の楽器を選んだのだろうか。
んーーーーー、わからないな。

 

 

高校に入っても、
クラリネット希望が定員数よりも多かったのに
譲らずにいたわけだし。

 

でも、それも、
他の楽器を1からやりたくない。っていう
リセットしたくない気持ちが大きかったのかもしれない。。。

 

あの、
吹奏楽漬けだった日々が懐かしい。

あの頃、
もっとひたむきに、貪欲に
打ち込んでいたら。。。

 

「もし」とか「~たら」と言い出したらキリがないし、
あの時のわたしは、わたしで、一生懸命だった。

 

でも。。。

1曲のテーマについて、
もっともっと、それぞれの意見を出し合って
話し合えていたら?
と、思ってしまったんだ。

 

ぶつかり合うことが怖くて
なんとなく丸くおさめようとしてた自分。

 

そもそも、
意見が違うこと=ぶつかりあうこと
=わかり合えない
と、思ってた自分。

 

そんなことないのにね。

 

 

吹奏楽部のことが書かれている本を読むと
どうしても、あの頃の記憶がよみがえってきちゃう。

 

でも、
33歳のわたしが、今、いる。

 

高校1年生だった、16歳から
倍の年齢になったんだね。

 

それでも、
変わっていない気持ちもあるし、
懐かしい思いもある。

 

戻れないけど、
戻りたくはないけど、
もう一度、ひたむきに、
楽器と向かい合いたい気持ちはあるのかもしれない。

 

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読書記録075【母脳 母と子のための脳科学】黒川伊保子

【母脳 母と子のための脳科学黒川伊保子

 

 

 

子育て中の真っ只中。
一気読みしました。

 

黒川伊保子さんの著書は、

言葉やことだまに興味があった時に
・いい男は「や行」でねぎらう いい女は「は行」で癒す
・日本語はなぜ美しいのか
・怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか
などを読んでて。

 

最近だと、旦那さんが職場の人におすすめされた本
・妻のトリセツ
も、読んだりしてた。

 

脳の話がいろいろと出てくるから、

わかりやすいし、おもしろくて。

 

今回読んだ『母脳』も、

なるほどー!!!の連続で、

自分の育児をこのままのスタイルでいこう!

の自信にもなったし、

息子を理解することへのサポートにもなった。

 

 

たとえば、

脳は失敗することによって、知恵やセンスを培う。歩き始めた子にとって大事なのは、転ぶことだ。動物は、行動に失敗して痛い思いをすることによって、身体制御の真髄を知るのである。親が失敗を怖れて、手を添えすぎてしまうと、運動音痴や手先の不器用な子になってしまう。

 

先に、先にと

答えを知っている親のわたしが

痛い思いをしないように

カバーしてしまうことは簡単。


でも、それは本人の体験を奪うことにもなる。

 

基本的に、

我が家は「どんどんやれー!」の方針で

大きなケガに繋がることでなければ

(道路に飛びだすとか、高いところから落ちるとか)

極力手を出さないようにしてる。

 

 

息子に「それはダメ」と伝えても

なんでダメなのかわからないし。


だったら、やってみて、

自分でダメな理由を少しずつ

理解してもらったほうが

後が楽になると思うし。

 

 

つまり、「失敗」って

「失敗」じゃないんだよね。


失敗することで

新しいデータをもらって学習できる。

その学習が脳に経験をして積み重なっていく。


自分でやってみないと、わからない。
わからないから、やってみたいだけ。

 

人生最初の実験にできるだけ付き合ってあげたい

二歳児のやることは反抗じゃない。大いなる実験。母の言った通り、息子はほどなくティッシュを引き出すのに飽きたし、コップを倒すのにも飽きた

 

そうそう。

うちも、ティッシュを出しまくることあって。


後で片づければいいだけの話だから

全部だしてOKにしてた。


(いや、はじめは私はイヤだったんだけど

旦那さんがそれを良しとしてて。

それを受け入れざる終えなかったのが功を奏したんだった)

 

どうなるかわからないから

自分でやってみたい。


これからもその好奇心を

尊重していきたいと思いました。

 

 

ま、長男の陸斗(現1歳4か月)は、

水が大好きで

水たまりをみつけるといつもビシャビシャになるし、

水道でも遊びたがるし、

コップの水も「じゃあじゃあ」とこぼすわ、手を入れるわ。

で、冬は風邪ひかないかドキドキするんだけど。

 


着替えがあって、

時間に余裕があるときは、

好き放題にやってもらってる。


水に関しては、まだまだ飽きがこないけど。。。

 

本人はいろんな実験をしてる。

 


自分で考えて、試してみて。

 

1回でやめるのではなくて

何度やっても同じなのか?

またまた、違う結果になるのか?
ちょっとやり方を変えたら

結果も変わるのか?


(本人に聞いたわけじゃないけど、わたしの勝手な想像ね)

 

 

わたしの人生経験からしたら

もうやらなくてもわかるじゃん!とか、

結果がすでに見えてる。ってことも、

からしたら、未知なることばかり。


「自分でやってみよう!」の部分は

できる限り尊重したいし、協力したい。

 


その気持ちが、より増しました。

子育てって、おもしろい。

読書記録074【君たちは今が世界】朝比奈あすか

【君たちは今が世界】朝比奈あすか

 

 

 

小学校6年生のあの頃。
わたしはどんなことをしてたんだっけ?

 

みんなと、居たい。
みんなは、痛い。

教室がすべてだったあの頃の、
まぶしさとしんどさが
よみがえる。

いつかのあなたが、きっと、
この教室の中にいる。

 

仲良しな女の子グループあったな。
誰かと一緒にいる。
自分がはみ出ないようにする。
周りを気にする。
波風立てないようにする。

そんな6年生。

 

小学校の最高学年で
エライような気もしてた。

 

学校内の行事は
6年生中心で
1年生の面倒もみる。

大人の気分。

 

でも、
中学生や高校生と並ぶと
ほんと子ども。

 

小学校低学年の子たちみたいに
無邪気だけではいられない。

 

いろいろ頭で考える。

難しい年ごろなのかもしれない。

 

 

小学校での時間が
生活の大多数を占めていて。

 

他に
習い事などでの
お友だちもいたけれど。

 

同じクラスの友だちとの時間は
圧倒的に多くて。

 

教室での自分のポジションを守ってた。

 

見えないカースト制みたいなもので
順位が決められている世界で
自分の地位が下がらないように
どこかで必死だった。

 

自分で地位は決められなくて
周りの評価で決まっていく。

 

だから、
周りから認められるようでいよう。
嫌われないようにしよう。
と頑張ることが重要だった。

 

教室という世界で
自分の居場所がなくなるのが
こわかったんだ。

 

 

今だから思えること。

 

教室の世界は
これから生きる世界と比べたら
ほんのちょっとの
ちっぽけな世界だってこと。

読書記録073【美しい距離】山崎ナオコーラ

【美しい距離】山崎ナオコーラ

 

 

なんだろうな。
なんていうのかな。

 

心地よい距離感って、どんなものだろう?

そんなことを考えた。

 

家族の単位って、なんだろう。
夫婦が一番近いのか。

結婚した後も、親子は近いのか。。。

 

近いからって、

その相手のことが全部わかるわけでもないし。


遠いと自分が思っている人が、

近い人に対してどんな関わりをしようとも、

それはその人同士の関りで。。。

 

って、とても抽象的な「なんだろう」ばかりなんだけど。。。

 

 

物語の内容は

ある日、サンドウィッチ屋を営む妻が末期がんと診断された。夫は仕事をしながら、看護のため病院へ通い詰めている。病室を訪ねるのは、妻の両親、仕事仲間、医療従事者たち。医者が用意した人生ではなく、妻自身の人生をまっとうしてほしい――がん患者が最期まで社会人でいられるのかを問う、新しい病院小説。

 

病気になると、

関係性の距離ってかわるのかな?

 

病気になっても、

その人であることは変わらないはずなのに、

一気に「病人」というカテゴリーに分類されてしまう。

 

人は、誰だって「死ぬ」し、

それはいつ訪れるかわからない。


なのに、病気にならなかったら、

普通に平均寿命くらいは生きるだろう。

と、自分は大丈夫だろうと、

どこかで安心して思っている。

 

 

生きているからには、

いつだって「死」は隣りあわせにいるのに。。。

 

かくいう、わたしも、

自分が明日死ぬとか全く想像できない。


90歳くらいのおばあちゃんになって

死んでくと、勝手に思ってる。

 

「死」というタイムリミットが

見えてきたときに、

人は「生」という残された時間の

短さを改めて知るのかもしれない。

 

 

変わりゆく状態に、

関係性も変わっていくのか。
新しい関係を築きながらいくのか。

 

 

相手が亡くなっても、

自分の人生は続いていく。


人がいる限り、

いろんな関係性は続いていく。

 

なんか、全然、まとまらない。笑

 

 

読み終えた小説には、

ココロに残った部分に貼る

付箋だけが多く残ってた。

 

 

「死」って、

こんなにキレイに終わるものなのか?

 


イムリミットが

近くにあるってわかったら

人は死ぬ準備や心構えができるのか?


終わる瞬間に目を向けるんじゃなくて

生きている「今」を見ていけるのか?

 

 

もう想像でしかないことばかりで

想像すると戸惑ってしまう。

 

 

昔、働いていた職場の介護教育長が

「死ぬならがんがいい」って言ってた。


この物語で妻を亡くした夫は

『死ぬための準備期間のあるがんという病気に、

妻のおかげで明るいイメージを持てるようになった』

と言っていた。

 

 

同じだ。

 

終わりが見えるからこそ

の、何かがあるのだろうか?

 

 

あーーーーーーーーーー、

やっぱり、まだまとまらない。

 

「生」と「死」のことって、

考えても考えても

答えが出てこないのかもしれない。


今のわたしの生きている価値観で

いればいいのかもしれない。

 

ただ、「生きている」ってことは

「死ぬ」ことと隣りあわせなんだよ。

ということは、改めて感じたんだった。

 

 

そして、題名にもある『美しい距離』


人との距離感って、

関係性でも変わるし

その時々でも違うし

そこにいるメンバーでも変わる。

 


互いに心地よいと思える距離は

決まっていないからこそ

自分の感覚で確かめながら

距離を離したり近づけたりしていくんだと思う。

 

 

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読書記録76【今日のハチミツ、あしたの私】寺地はるな

【今日のハチミツ、あしたの私】寺地はるな

 

 

 

新しい場所に降り立って

知り合いもほとんどいない中、

どうやって生きていくか。

 

 

今までだったら

きっと、なんとなくで

いつものルーティンをこなせば

生きてはいけた。

 

 

けど、

これからは

自分で開拓していかない限りは

生きていくことすらできない。

 

 

 

自分がもとからもっている力。

発揮するのは自分自身。

 

 

読んでて

やさしさとたくましさをもらった。

 

 

「やさしい」って難しい。

 

なんでも許すことが

やさしさではない。

 

やさしいように見えて

相手の成長を止めてしまう。

 

相手の力を信じてあげることが

見守れる強さが

やさしさなのかもしれない。

 

 

不器用すぎると

やさしさが伝わりにくくもあるし。

 

相手のことを思ってなのに

わざと隠してしまうとかね。

 

 

そこらじゅうに転がっている

誰かのやさしさに

気づける人間でありたいと思った。

 

同時に

本当の意味での

やさしい人間でありたいとも。